7.男の話
「俺の知ってる怖い話?」
男は首を傾げた。
「貴方も、ひとつくらい知らないんですか? 私ばかり話すのも不公平でしょう」
そう言いながらも、まるで期待はしていない様子でリカルドは言った。
「じゃあ、話してやろうか」
「え?」
「女の幽霊の話。真夜中に、宿屋で眠っていた男が息苦しくなって目を覚ました。見ると、女の幽霊が夜中に男に跨って首絞めてる。女は言うんだ。『わたしといっしょに、逝きましょう』ってな。まあ安い怪談だが………おい、どうしたよ?」
リカルドは固まったように男を見ていた。男はさては、と嗤った。
「何、リカちゃんったら、実はすごい怖がり?」
「その話…どうして…」
「今朝、町の食堂で旅人が話した、ただの噂話」
「…そう、ですか…」
「なにお前、やけに喰いついたけど、そんなに女性に跨られたかったの?」
真顔で問う男に、リカルドは重い息を吐いた。
そして思い出す。
その話は、リカルドにとって、誰よりもよく知った話だった。
「おい、リカちゃん!」
急に耳元で怒鳴られ、リカルドは慌てて身を引き、声の方へと振り返った。見ると、相手は明らかに不機嫌な顔でこちらを睨んでいた。私は何かしたのだろうか? それとも、またいつもの気まぐれだろうか。
「……マリア?」
いつからそこに? そう、隣にいる男に問いかけると、男はさらに顔をしかめた。
「何ですか。急に大声出さないでください」
「急に、じゃねえ。さっきから隣にいたし、何度も声かけた。…お前、今日おかしいぞ」
え? と間の抜けた声を上げるリカルドに、男…マリアは呆れたように嘆息した。
「さっきからなんか上の空つーか…熱でもあんのか? てか、お前風邪とかひくの?」
「失礼な。…たしか、4,5歳くらいの時に一度…」
「羨ましい免疫力だなオイ。お前、間違いなく今後風邪とかひくことねぇよ」
「ともかく、熱は無いんですが……昨日の夜…妙な夢を見たんです」
あれは本当に夢だったのだろうか。と言葉を濁すリカルドに、夢? とマリアが聞き返した。
「夢…だったんだと思います。まるで現実のような感覚でしたが…。夜中、息苦しさに目を覚ますと、女性が…馬乗りになって私の首に手をかけていたんです」
「なにそれ羨ましい」
「…彼女は泣きながら何か訴えているように思いました。それが何か分かる前に、彼女は消えてしまったんですが」
「女性に跨られる夢ねぇ…リカちゃん、欲求不満?」
「違 い ま す ! …悪夢を見たせいで寝不足なんです」
ふうん。といかにも疑わし気にマリアは返した。
「やっぱお前、変」
声とともに、リカルドは頭をはたかれた。振り返ると、前以上に不機嫌そうな顔のマリアが、丸めた地図を手に睨み付けてきていた。
町を出て数刻。二人は街道から遠く離れた森の中の小道を歩いていた。
「…またその話ですか」
リカルドもうんざりと返した。その反応に、マリアはいっそう苛立った。爆発一歩手前といった風だ。
「リカちゃんよ。お前、さっきから地図も見ねぇでどこ行く気だ。城下町まで移動するんじゃ無かったの。なんでどんどん街道から離れて行くんだよ。俺が何回止めても聞きゃしねぇ。ホントは熱あるだろお前」
と完全に喧嘩腰で近づいて来たかと思うと、ゴス、と鈍い音を立てて頭突きをされた。そして直後にマリアは額を押さえて俯いた。涙目で。
「何勝手に自滅しているんですか」
「……お前少しは驚くか痛がるかしろよ可愛気の無ぇ…てかお前、なんでそんな額が冷てえの」
マリアはそう言いながら、リカルドの手を掴んだ。
「離してください。もういいでしょう、私はいきます。…もうすぐ、つきますから」
そう一方的に言うと、掴まれていた手を振りほどき、リカルドは再び早足に歩き出した。
マリアはその場に立ったままだった。先ほどリカルドの手を握っていた自分の手に視線を落とし、動けないでいた。掴んだ手が、人形もしくは死人かと疑う程に冷たかった。
「……どうなってんの…マジで」
ああ頭が痛い。さっきの頭突きのせいだけではない頭痛を覚え、マリアは額を抑えた。どう考えてもおかしい。決して長い付き合いではないが、アレはリカルドでは無い。
舌打ちして、マリアは疑念を振り払った。考えたって仕方が無い。そして、リカルドを追って森の奥へと向かった。
少し進むと森を抜けた。その先には、朽ちた白壁の遺跡と、大きな湖があった。
そして、大きな湖の端にリカルドの姿を見つけた。彼は、腰あたりまで水に浸かった状態で、そのまま湖の中心へと歩み続けていた。
「お前、何やってんだッ!?」
マリアは駆け出し、自らも湖の中へ入るとリカルドの肩を強く掴んだ。直後、リカルドは振り返るとマリアを殴りつけた。
「邪魔をするな」
吐き捨てるように言うと。そのまま湖の中心へと歩を進めた。胸のあたりまで水に浸かっても、その歩みは鈍ることすらない。マリアは、飛びそうになる意識をなんとか繋ぎとめた。なんとかして止めなければ、と道具袋に手を伸ばすし手にあたった物を何か確認することも無く握り締めて、振りかぶった。
「この…馬鹿野郎ッ!!」
ガツン。と鈍い音がした。
マリアが投げた物体は、奇跡的な軌道で首まで水に浸かっていたリカルドの後頭部に直撃した。だがしかし、まったく効いた風も無く彼は一歩前に進み……そこで、急に場違いな音楽が響いた。
音は、リカルドの背後から鳴っていた。オルゴールの音だった。マリアが適当に投げつけたオルゴールの小箱は、蓋を開けて水面に浮かび、音色を奏でていた。
リカルドの歩みが、止まった。
そして直後、湖に女性の叫びが響き渡った。
「なんで私、いきなり殴られたんですか」
「うるせえリカちゃんなんか嫌いだ」
特に痛がる風も無く、首を傾げて問うリカルドに、マリアは不貞腐れた様に吐き捨てた。
「それにあの…女性はいったい」
「俺が聞きてぇよ」
リカルドとマリアは揃って『女性』へと目を向けた。
彼女はずっと、オルゴールを抱きしめて泣いていた。
「今朝から記憶が曖昧で…どういう状況なんですか?」
困ったように問うリカルドをマリアは睨めつけた。
「熱心に入水を試みるリカちゃん止めようとしたら殴られて仕返しにオルゴール投げつけたらなんかこのレディが出てきて号泣中」
「さっぱり分かりませんがすいませんでした」
とりあえず自分に非があると感じて謝るリカルドに、マリアは未だ憤りが収まらないというように息を吐いた。
「とにかく、早くこんな場所離れて町行くぞ」
「ちょっと待ってください。この人は…」
「人じゃねえよ。お前に取り憑いて道連れにしようとした悪霊だ。………お前まさか、そいつの世話までやこうってんじゃねえよな。冗談は大概にしろよこのお人好………おい、聴けよ人の話」
リカルドは既に、涙を流し続ける女性の前に膝を着いていた。
「…何故、こんなことをしたんですか?」
女性は俯き涙しながら掠れた声で呟いた。
『いつもここで大好きな人と会ってた。でも、ある日から彼は一度もここに来てはくれない。わたしは毎日ここで待っていたのに。…彼は来なかった。それでもわたしは毎日ここに来た。何年も。何年も。少しでも、覚えていて欲しくて。忘れないで欲しくて。
何年も待ち続けたわ。でも彼は一度も来てはくれない。わたし、忘れられたくないのに、忘れられないはずなのに…わからなくなってきたの…彼の顔、わからなくなってきたの…どうして……』
そこまで言うと、急に、女性はリカルドの腕を掴んだ。
『ねえ、あなたなの? わたし、あなたの顔がもう思い出せないの。やっと来てくれたの? …一緒に、いきましょう…』
そう微笑みかけながら、リカルドの首に手を伸ばした。
「はいはい。そこまで」
急に、マリアがその間へ割って入った。
「いいか、よく聞けお嬢さん。そいつは来なかったんじゃねぇ、来られなかったんだ。…お前が今大事に抱えてるそれは、そいつの形見だ。…お前の大好きな人は、もうずっと前から向こうでお前を待ってるだろうよ」
女性は固まったように、抱きしめたオルゴールへと視線を落としていた。そこに、彼女の大切な人の姿が見えたのかは分からない。彼女は『ああ…いま、いくから…』と呟くと、涙しながら、しかし笑顔を浮かべて、消えていった。
「…とんだ茶番」
興味無さ気に言うマリア。
「マリア」
「なに」
「…彼女は、私の前にも、同じように人の命を奪おうとしたのでしょうか? …彼女は、大切な人と同じ場所へ、逝けたんでしょうか?」
リカルドは残されたオルゴールに視線を落とし俯いたまま呟いた。知らね。とマリアは愛想無く返した。
「……ところで何故、あなたがその人の遺品を?」
マリアは一瞬、もの凄く痛いところを突かれたといった表情で固まり、そして、どうせここで適当に誤魔化したところで納得しないだろうと考えて白状した。
「…二日前、ぐっちゃぐちゃに荒らされた廃屋漁って頂戴してきた」
「急に姿が見えなくなったと思ったら、私の見てないところで何普通に悪事はたらいてんですか!?」
「盗賊にでも入られたのか知らねぇが、家の中には誰かの骨と、えらく厳重に鍵かけられた金庫だけが残ってた。あんまり気合入れて守ってるもんだから、こりゃすげえお宝でも出てくるかとこじ開けたら、中からこのオルゴールだけが出て来たって訳」
まあ、役に立ったんだからいいじゃねえの。そう悪気無く笑うマリアに、リカルドは重い息を吐いた。
二人は再び元来た道を戻り、森を抜け、城下町へと続く広い街道を歩いていた。
「城下町かー。とりあえず、着いたらどこ行くよ?」
先ほどの出来事を既に忘れたかのように、暢気に次の予定を問うマリアに、リカルドは迷い無く答えた。
「警察に行きます」
え。と声を上げるマリアの腕を、リカルドは逃がさぬようにぐっと掴んだ。
「余罪を余すことなく白状して来なさいこの悪党」