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2.二百年の記憶
 
 
「最初、私は小さな家に暮らしていたわ。その家に子供が生まれた日、私も一緒に生まれた。生まれてきた彼らの息子と一緒に、あの人は私にも名前をくれた」
 
 緑に囲まれた小さな家。そこが、はじまり。と彼女は神話でも語るように、遥か昔を思い出し、そう語り始めた。
 
「それから毎日、あの人たちはその子供の話を私に聞かせるの」
 
 朝に晩に、私の名を呼んで語りかける。あの子が笑った。ママと呼んだ。立った、歩いたと…いい迷惑よ。彼女はうんざりした様に息を吐いた。
 
「あの家族は本当に仲が良かった。それは良いことだとは思う。でもそれを私に聞かせる必要がある? …本当に、飽きもせず、あの人たちは私に話を聞かせたわ」
 
 私は毎日黙って話を聞いていたわ。我ながら律儀なことにね。そう彼女は自嘲するように嗤った。でも、ある日、
 
「私はあの人に聞いてみたの。『何故、私にそんな話を聞かせるのか』って」
 
 答えなんて期待して無かったわ。と彼女は少し声を落として、寂しそうに呟いた。それから小さく笑った。でもね。あの人は答えてくれた。すこしはにかむような声で囁いた。
 
「こうやって毎日語りかけるのは、私のことも彼らの子供だと思っているから、だって。…バカみたい。私は彼らの愛しい子とは違うわ」
 
 そう毒突く声は、しかし言葉とは裏腹に暖かかった。
 
「はじめは唯の気まぐれだろうと思ってた。でも、彼らは毎日私の名を呼び、語りかけることを止めなかった」
 
 それから何年か経って、やがて小さかった子供は大きくなった。
 
「彼もまた私に話しかけるようになったわ。…つまり、私が話を聞かされる時間が増えたということよ。揃いも揃って困った家族ね」
 
 それに、あの子ったら、好きな娘の話を何故だか私に一番に話したのよ。両親よりも先にね。そう彼女はくすぐったそうに笑った。
 
「そして、また何年か過ぎて、小さな家には家族が増えていったわ。いつかあの子が私に話した思い人も家族のひとりとなって…そして小さかったあの子は父となって。子供も2人、生まれたわ」
 
 小さな家には窮屈なくらいに家族が増えて、しかしそこは陽だまりのように暖かかった。新しい家族は倣うように彼女に日々のことを語り、彼女のまわりはとても賑やかになった。
 
「以前にも増して騒がしくなったわ。…でも、なぜかしら。あの頃を思い出すと胸が苦しくなるように感じるの」
 
 きっと、私は幸せだったのね。気づいたときには遅すぎたのだけれど。と彼女は声を落として続けた。
 
「私に名前をくれたあの人は、ある日冷たくなって私のところへ運ばれてきた」
 
 あの人は、私の傍へと葬られた。私はそれをじっと見ながら涙したわ。私を満たしていた暖かい光が、毀れて消えていくように見えた。その日はとても強い雨が降っていたから、私は風のせいにして声を上げて、雨のせいにして涙を流したわ。
 
「…それからどれほど経ったかしら。私はその暖かい家族と何度も出会いと別れを繰り返した。あの子の子供も、そのまた子供たちも、みんなみんな私の名を呼び、語りかけてくれた」
 
 いつまでも続く楽しい日々と、忘れたころに訪れる悲しい別れと。優しい家族が去っていく度に、その身は彼女の傍へと休められ、彼女はその度涙した。しかしある日、その日々は唐突に終わりを告げた。
 
「家族がこの家を出て行くと言ったの。…そして、私を連れて行くことは出来ないって」
 
 彼ら、とても辛そうな顔をしていた。子供たちは泣いていたわ。家族である私を置いて行くことを、心から悔やみ悲しんでいた。家を去る日、彼らは何度も何度も私の名を呼んで、そしてこう言い残して去って行ったわ。『いつか必ず帰るから』って。約束は果たされなかったけれどね。と彼女は困ったように笑った。
 それから、と彼女は続けた。
 
「しばらくは本当に静かな日々が過ぎた。急にその静けさの中にひとり取り残されて、私はただ呆然とそこに在ったわ」
 
 村の外れにある小さな家の周りには人が少なく、彼女はしばらくの間、ひとりぼっちで過ごしていた。
 
「けれどある日、私の近くに人が住みはじめた」
 
 彼女を囲うように、ひとつまたひとつと家が建ちはじめ、彼女のまわりには以前よりたくさんの人が集まるようになった。村は町になり、町は街へと変わり、そして小国となった。
 
「気がつけば私は、国の中心として、象徴として祀られていたわ」
 
 そして、彼女に会いにくる人々は何故か、皆彼女をまるで娘のように、友達であるかのように名前を呼んで語りかけた。彼女のまわりに集まった人々は皆、彼女の姿に惹かれこの地に集ったのだと、そう誰かが言っていた。
 
 再び騒がしく、けれど優しい人々に囲まれて。あの家にいた頃ほど密ではないが、それでも人々ひとりひとりがかける言葉に、彼女を呼ぶ声に、いつしか彼女は孤独を忘れて暖かい気持ちが心を満たすようになった。
 
「でも、それも長くは続かなかった」
 
 国を、戦火が襲った。何が原因だったのか。どちらが仕掛けた争いだったのか。彼女には分からなかった。ただ戦は激しさを増し、彼女が愛した国の地は踏み荒らされ、彼女を愛した人々は傷つけられ、彼女自身もまた傷を負った。
 
 戦が続く中、彼女は必死で叫んだ。戦いを止めて欲しいと。もう誰も傷ついて欲しくないと。しかし、叫ぶ声を持たない彼女の願いが届くことは無かった。彼女は叫ぶ声を風変え、流す涙を雨に変えて、大地を染める血を洗い流しながら、幾日も戦の終わりを願った。
 
「長い…本当に永い時間が過ぎて、戦いは終わった。…けれど後には、何も残っていなかった」
 
 残ったものはたくさんの瓦礫と、そして満身創痍となった彼女だけだった。
 
「私も戦火の中で朽ちるはずだった。けれど気がつくと、こんな姿にはなってしまったけれど、まだ”私”はここに在った」
 
 私も、まわりも変わり果ててしまったけれど、私はまだ生きていた。そう寂しげに呟いて、でもね。と彼女は続けた。
 
「私の体はここに生きていても、私の心が…”私”というものが、消えてしまいそうなの。…だって、今は…誰も私の名前を呼んでくれないっ!」
 
 彼女は搾り出すような声で悲しみを叫んだ。涙の代わりのように、ぽつり、と空から雫が落ちた。彼女の名を呼び、優しく語りかけた人々が、彼女と瓦礫の山だけを残して消えてしまって数年が経った。孤独の中で彼女の心は擦り切れ、”彼女”自身が消えようとしていた。
 名前を、呼んで欲しいの。彼女は涙声で呟いた。私が私であることを忘れないように。
 
「きっと、私が生まれたのは、あの人が私に名前をくれたから。だから、誰かに名前を呼んでもらえないと…きっと私は消えてしまうわ」
 
「ふうん。俺とオソロイじゃねえの」
 
 と、場違いに能天気な声が響いた。それまで彼女の傍に座り、黙って話を聞いていた男が、はじめて口を開いた。その声に、彼女は不機嫌そうな声を出した。
 
「オソロイじゃないわ。貴方に何が分かるっていうの」
 
 分かるさ。と男は笑った。
 
「俺も、アイツに名前貰って、その日に”今の俺”が生まれたんだって、そう思ってる。名前呼んで貰えねぇと、消えちまうんじゃねえかって…思う時もある」
 
 だから、オソロイ。マリアってね。俺の名前。そう言って笑う男に、彼女は、変な名前。と吐き捨てた。
 
「はっはっは…火ィつけるぞテメェ」
 
「やってごらんなさい。末代まで祟ってやるわよ」
 
「…お前、可愛くねぇな」
 
「貴方もね」
 
 なんだよせっかく話聞いてやったのにその態度は。等と悪態をつき、そして諦めたように、息を吐いた。
 
「―セイリア」
 
 お前の名前だろ? とマリアは悪戯っぽく笑った。彼女は一瞬息を呑み、そして、貴方に呼ばれても嬉しくないわ。と無理やり元の素っ気無い口調を作って応えた。それに眉をしかめつつも、マリアは再び声をかけた。
 
「なあ、セイリア。せっかくこうやって生きてんだから、心を消しちまうのはまだ早いんじゃねえかな」
 
 早い? と彼女は嗤った。
 
「私はもう何年も、この人のいない瓦礫の山だけを見て来たわ。それがどれだけ永い、辛いことか、貴方には分からないでしょう?」
 
 もう、疲れたのよ。そう呟く声が本当に辛そうで、マリアは一瞬言葉に詰まった。
 
「…でも、家族が去ってひとりきりになったお前のところに、人が集まって来たんだろう? またそんな風に…」
 
 それは無いわ。と彼女は自嘲するように切り捨てた。
 
「今の私の惨めな姿に、誰が惹かれると言うの? もう、誰も私を愛してはくれないわ」
 
 自らを嗤いながら、泣き出しそうな声で言う彼女に、そんなこと言うなよ…俺まで悲しくなるじゃねえの。とマリアは顔を伏せた。
 
 
 
 一瞬落ちた沈黙に、別の声が響いた。
 
「マリア!!」
 
「……リカちゃん?」
 
 マリアは顔を上げて、声の方を振り向いた。そして、遅ぇよ。と拗ねたように呟いた。マリアから一歩おいた距離に立つリカルドは、害虫でも見るような目でマリアを睨みつけていた。ああ、これは予想以上にお怒りだ。そう内心で冷や汗をかきつつ、わざと茶化すようにマリアは言った。
 
「お前の迎えがあんまり遅いんで、寂しくて泣いちゃうところだったぜ」
 
「黙れ悪党。私は貴方を迎えに来た訳じゃありません。今すぐ盗んだ物を返しなさい」
 
 さもなくば斬り捨てるぞ。そんな幻聴すら聞こえかねない怒気まとった低い声に、マリアは「悪かったよ」と詫びた。そして、素直に財布を取り出すとリカルドに差し出した。それを受け取りながら、いっそう訝しがるようにリカルドは問いかけた。
 
「中身は…」
 
 開けてもねぇよ。とその問いを読んだ様にマリアは答えた。
 
「…何故、こんなことを?」
 
 呆れたように問うリカルドに、マリアは気まずそうに目を逸らした。そして拗ねたような、すこし寂しそうな声で呟いた。
 
「俺が普通に姿消したら、お前、喜んで俺のこと置いて行くだろ」
 
「ええ。当然」
 
 財布を鞄に入れながら、素っ気無くかつ迷い無く言い切ったリカルドに、マリアは「仕舞いにゃ本気で泣くぞ」とひとりごちた。
 
「置いてかれるなんて冗談じゃねえから、お財布さんには人質になってもらったワケ。…にしても、予想通りとはいえお前、本当冷たいヤツだな。こんな人質なんか無くても、俺が見当たらなきゃ探して、迎え来るくらいの男気が欲しいくらいだ」
 
 貴方ではなく財布を迎えに来たんです。とリカルドは律儀に訂正した。
 
「…てかお前、よくここが分かったな?」
 
「…ええまあ。散々聞いて回るはめになりましたけどね。財布を持ち去った悪党の行方を」
 
 あからさまに嫌味を込めた言い草に、悪かったって。とマリアは呻いた。
 
「先ほど街道ですれ違った男性が、貴方がこちらに向かう姿を見たと教えてくれたので、助かりました」
 
 お礼に、私も彼の力になれれば良かったんですけどね…。と呟くリカルドに、マリアは首を傾げた。
 
「彼も探し物をしていたそうで…『セイリアという大樹を知らないか?』と尋ねられたんですが、残念ながら私には心当たりが無かったもので」
 
「なんだって?」
 
 声を上げたマリアをリカルドは不思議そうに見返した。
 
「その男、他になんか言ってた?」
 
「ええ…。その方は、大樹のある地で暮らしたいと言っていました」
 
 その樹は彼の先祖が愛した樹で、一族は皆その樹の下で眠っている。彼の先祖は故あってその樹の元を離れ、別の地へと移り住んだが、彼の親も、その親も、ずっとその樹のある場所へと帰りたがっていた。
 
「彼はその思いを受けて、なんとしても大樹を探し出し、その樹の元で暮らそうと…」
 
「リカちゃん、そいつ、どこ行った!?」
 
 急に立ち上がり、掴みかかる勢いで問うマリアに、リカルドは驚き思わず一歩引いて答えた。
 
「さあ…すれ違っただけなので…」
 
「よし。そいつ、探すぞ!」
 
「急に何を…正気ですか?」
 
「あったりまえよ! まだそんな遠くには行ってないだろ」
 
 ほら行くぞ! とリカルドの腕を掴み駆け出そうとしたマリアは、ふと足を止めて、振り返った。
 
「おい、聞いてたか。面白い昔話の礼に、お前の家族連れて来てやるから、心の準備して待ってろよ!」
 
 そう、高らかに宣言すると、再びリカルドの腕を引いて早足に進みはじめた。そんなどこまでも迷惑な男に、リカルドは深く息を吐いた。
 
「ところで貴方、先ほどからいったい何と話をしていたんですか?」
 
 訝しげに問うリカルドに、マリアは「俺の隣にあったやつと」と当然のように答えた。
 
「…地面にはまった石版のことですか? …墓標、ですよね? 貴方は幽霊でも見えるんですか」
 
「違ぇよ。その石版の先。折れた大木の根元に、ちいさな木の芽があっただろ? …なによその顔。樹とお話するのがそんなに不思議?」
 
 樹とだって会話くらいできるだろ。最近のヤツは気合が足りねぇな。とマリアは笑った。
 
「…あの小さな木の芽が、セイリアという大樹、ということですか?」
 
 問うリカルドに、そうだ。とマリアは頷いた。
 
「大樹じゃなくなっちまったが、間違いなく、その男が探してる樹だ。お前も、あの石版見ただろ?」
 
 彼女自身は、自分の足元だけは見えて無かったみたいだけどな。意地悪そうな言葉と裏腹にとても嬉しそうなマリアの横顔を眺めながら、リカルドはその石版に刻まれた文字を心の中で読み返した。
 
 朽ちた大木の根元、ちいさな木の芽の傍には、薄い石版があった。二百年の年月で石版はひび割れ、掠れてしまった文字は、しかし今でもはっきりと読み取ることができた。
 
 
『セイリア―永遠に、我らの愛しい娘―』
 
 
 

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