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 少年は、いつも隠れて泣いていた。
 強い少年だった。文武に秀で、知性と勇敢さと勤勉さを持った少年は、将来は立派な騎士になるだろうと言われていた。
 しかし、少年は陽が暮れる頃になるといつも、ひとり人の輪を抜けて、人気の無い場所へと逃れた。
 
 少し前、少年は共に暮らす家族を皆失った。国境に程近い村は隣国の兵に攻め入られて、村を守ろうと立ち向かった若者も、ただ家に隠れ怯えていた者も、等しく命を奪われた。たった一人、奇跡的に生き残った少年は、心を失ったようにただ呆然と燃える村を見ていた。
 その時の心の傷は、未だ癒えることなく残っていた。普段は、その傷を見せないようにと強く在る少年だった。しかし、夜の闇を見る度に家族を失った夜を、失う前の暖かかった家族を思い出して、どうしようもなく胸が痛んで、少年は声を堪えて静かに涙した。
 
 その少年には、いつも迎えに来てくれる人がいた。
 家と家族を失った少年は、首都に住むひとりの老紳士の養子となり、共に暮らすこととなった。老紳士は、少年がどこで泣いていても、必ず見つけてくれた。涙を流す少年の隣で、何も言わず傍にいてくれた。少年が泣き止むと、優しく微笑んで「帰りましょう」と手を差し伸べた。少年は、そんな老紳士を心から慕っていた。
 
 そしていつしか、その暖かさに少年の心も少しずつ癒されていった。
 
 
 
  4.月の路
 
 
 
 リカルドは、夜が苦手だった。
 暗闇が恐ろしい訳ではない。夜の静けさはむしろ好ましかった。しかし、無性に不安な気持ちになる。その感覚だけは、幼い頃からずっと消えずに残っていた。
 
 空を見上げる。月は雲に隠れ、あたり一面を深い闇だけが覆っていた。その闇を眺めながら、古傷が疼くように滲む不安を感じた。ずっと昔からあるその感覚を、何故か懐かしく思う。ここしばらくは、騒がしい自称「旅のつれ」のせいか、こうして静かに感傷にひたる暇すら無かった。
 あの迷惑な「旅のつれ」……マリアは今頃、どうしているだろうか?
 いや、勝手に人の旅路につきまとうストーカー紛いの男など、どうしていようが構わないのだが。と心中で付け加えて、一瞬浮かんだ不本意な懸念を打ち消した。
 あの男は今傍にいない。何故ならここは、マリアがいるはずの町から離れた、山間の谷底だからだ。
 
 昼間、仕事で訪れた町長の家で、商人らしき男が、妻と娘が山から戻って来ない。と縋り付くように救助を願っているのを見た。その山は今、凶悪な山賊が出ると噂になっているらしい。痛ましい姿が見ていられず、リカルドは自分が探しに行くと志願した。
 町の警備隊数人と共に山へと入り、女性と少女を発見することはできたが、ふたりは山賊に追われ、崖の手前へと追い詰められていた。助けに入り山賊との戦闘の末、山賊全員を捕縛し、ふたりの救出に成功した。そう思った矢先、捕らえた盗賊のひとりが、悪あがきか腹いせか、少女に向けて魔術を放ってきた。とっさに少女を庇ったリカルドは、魔術に吹き飛ばされて、崖下へと転落した。
 そして、リカルドが目を覚ますと、辺りは薄暗くなっていた。なんとか命は助かったらしい。傷だらけで谷底に倒れていたリカルドは、身体を起こそうとして、全身がひどく痛むことに気づいた。各所に負った傷――特に足の傷がひどかった。手持ちの道具で応急処置はしたものの、動ける状態では無かった。
 
 それからしばらく。なんとか痛む半身を起こし、大きな岩に背を預けた。傷口がひどく熱を持つのを感じながら、深く息をつく。傷を負ったことも手伝ってか、夜の闇が引き起こす懐かしい胸の痛みは、いつも以上に心を蝕むような気がした。
 こんなに弱気になるのは、いったいどれくらいぶりだろうか?
 せめて、月が出ていてくれれば。そう祈るように、月の無い闇空を見上げた。
 子供の頃から恐ろしかった夜の闇。その闇を優しく照らす月の光を、幼い頃の自分は、まるで救いであるかのように見ていた。それは、闇の中ひとりで泣いていた幼い自分をいつも迎えに来てくれた人が言っていたからだ。
 どうしてここにいるのが分かったのか、と不思議そうに問う子供に、彼は優しく微笑んで答えた。月が、貴方の居場所を照らしてくれたから、と。
 月の光が路をつくって、貴方の元まで導いてくれるのだと。まるで御伽噺のような話だが、今でもリカルドはその言葉を疑ってはいなかった。
 
 はたして祈りが届いたのか、雲間からやわらかい光が零れ、下弦の月が姿を見せた。
 同時に、見上げた月に影が差し、そして夜の静けさを破るように大音声が響き渡った。それは、リカルドにとって、ここ最近ですっかり聞き飽きた声だった。
 
「あー! こんなとこに居やがった! おーい、無事かリカちゃん!?」
 
 それまで感じていた不安や痛みを一瞬忘れるほど、どっと押し寄せた疲労感に、リカルドは目を伏せて深く息を吐いた。何故、あの男といるとこうも疲れるのだろうか。
 このまま目を合わせずにやり過ごしたい。という気持ちをなんとか抑えて、声のした方へと目を向ける。そこには、月を背負うように、白い影が舞い降りて来た。
 
「……竜……」
 
 それは小型だが確かに竜だった。翼を広げた白い竜は、ゆっくりとリカルドの前に降り立った。そして、その背から声の主が顔を出した。
 
「よう、探したぜ。お月様に感謝しろよ? 月が出なかったら、いくらコイツの夜目が利くからって見つけられなかったんだからな」
 
 お手柄。と竜の首を撫でながら、男――マリアはニヤリと笑って言った。
 月が、貴方の居場所を照らしてくれたから。
 幼い頃、胸に刻んだ言葉が、一瞬、マリアの声に重なるように響いた。
 
「怪我、してんだろ? 立てるか?」
 
 そう言って差し出された手を取らず、リカルドは視線を落として呟いた。
 
「どうして」
 
 ん? と差し出した手はそのまま、マリアが首を傾げた。
 
「どうして、探しに来たんですか」
 
 なんだそんなこと。と少し呆れたように笑って、
 
「そりゃあ、お前。一緒に旅してる仲間じゃねえの。迎えに来て当然だろ?」
 
「一緒に旅している訳じゃない。貴方が勝手について来ているだけでしょう。……大体、そんな相棒がいるのなら、貴方はひとりでどこへだって行けるでしょう」
 
 顔を伏せたまま、突き放すように言うリカルドに、マリアは、あのなぁ。と今度こそ本当に呆れた顔で言った。
 
「何度も言ってるだろ。一緒にいたいんだって。……どこか行きたい、じゃなくて、お前のとこにいたいの」
 
「何度も言っているでしょう。…私にとっては、迷惑です」
 
 思えば、この男が旅についてくるようになって、どのくらい経っただろう。その間、幾度と無く同行を断り、それでも尚つきまとうこの男と、時に言い争い、果ては隙を見て置き去りにし。それでも彼は、懲りずにここにいた。
 なにが目的かと尋ねても、返ってくる答えはいつも同じ。ただ「一緒にいたい」と、そう言うばかりだった。そのわりに、相手は我侭だった。大人しく旅に付き添うのならば、まだ、幾分マシだったかもしれない。しかし実際は、旅先で興味を惹くものを見つける度に、こちらを引っ張って面白そうなものへと飛び込んで行く。そして何かと問題を起こす。置いていかないから、と釘を刺して仕事に出かけたときでさえ、仕事先に乱入してきた事が一度や二度ではない。はっきりと、迷惑だった。
 
「……その話は、宿戻ってから聞いてやるから。とにかくここ、離れるぞ」
 
 マリアは、膝を付いて心配そうに顔を覗き込んだ。
 
「怪我の具合、分かるか? あまりひどいようなら、今ここに医者呼ぶけど」
 
 なんかここ山賊とかいるらしいし、魔物も出そうだから、我慢できるなら宿に戻ってからがいいだろうが…。と常に無く真面目に伺うマリアに、リカルドは問題ないと素っ気無く返した。
 「シロ」とマリアが呼ぶと、着地した場所に留まっていた白い竜は、静かに歩み寄って来た。ふたりの前まで来ると、そっと身体を低くした。
 
「帰ろうぜ」
 
 そう言って差し出された手を、リカルドは一瞬、驚いたように見つめた。しかしその手はとらず、今まで背を預けていた背後の岩を頼りに立ち上がった。マリアは不満気に手を引くと、竜を振り返って「シロぉ、ふられたぁ」と拗ねたように嘆きながら、竜の首を撫でた。シロと呼ばれた竜は嬉しそうにその手に頬を摺り寄せていた。
 リカちゃん、前乗って。マリアは振り向いて促した。後ろだと、気ぃ失って落ちたらマズイだろ。とかなり強引に乗せて、自分も竜の背に乗ると、竜はゆっくりと夜空へ舞い上がった。
 
 
 
 純白の竜が月夜に舞う。
 
 リカルドにとって、この竜の背に乗るのははじめてではなかったが、それでも不思議な気分だった。
 まるで夢でも見ているようだ。と、失血のせいかぼんやり思いながら、リカルドは前方に浮かぶ欠けた月を見ていた。やわらかく光る下弦の月は、さっき谷底から見上げた時よりも、とてもおおきく映った。
 
「…なあ、リカちゃん」
 
 背後からの声に、リカルドは振り向かずに、視線を月へと向けたまま、はい。と答えた。
 
「さっきの。なんで探しに来たのかって。お前、納得いかないみたいだったから、考えたんだけど」
 
 少し迷ったように間をおいて、マリアは続けた。
 
「俺なら、そうして欲しかったから、かもしれない」
 
 言葉を捜すようにゆっくりと紡ぐ声は、いつになく真剣だった。
 
「怖いんだ。ひとりでいるの。…なんか、いろいろ考えちまって」
 
 そういうのってねぇか? よく分からないのに無性に不安になったりとか。
 
「ひとりが怖い? 貴方が? …そのわりにはよく、ひとりでどこかへ消えるじゃないですか」
 
 それも好んで人気の無い町外れなどへと。そう、今までの迷惑な行動を思い出し、毒づくように言った。
 
「そりゃあ、お前が仕事についてくるなって置いてくからだろ。街中よりも落ち着くんだ。なんとなく…それに遺跡とか、そういう忘れられたモノ放っとけないっつーか…」
 
 言葉の最後は半ばひとりごちるように呟いた。
 
「…なあ、リカちゃん。はじめて会った時のこと、覚えてる?」
 
 急に投げかけられた問いに、リカルドは忘れられるものか。と心中で吐き捨てた。思えば、その時のこの男は、今以上に面倒だった。
 
「あの時はさ、俺はそのワケわからねぇ不安でいっぱいだった。ひとりでいるのが怖くて、でもまわりの全部も恐ろしくて。暗い中にひとりでいるみたいな気分だった。そんな時、リカちゃんと会って……マリアって、名前、もらって……」
 
 照れ隠しなのか、マリアは少し声を落として、月を見上げた。
 
「そしたらなんか、すげぇほっとして。それまで真っ暗でまわりなんて見えなかったのに、急に明るくなって、見えるようになって…」
 
 月みたいだって思ったんだ。とちいさく呟いた。
 
「お前のことも怖がって逃げ出した俺を、なんの義理もねぇのに、探しに来てくれたよな」
 
 こいつはとんだお人好しだなって、あの時は驚いたり呆れたりしたけどよ。とちいさく笑った。
 
「リカちゃんが迎えに来てくれたの、すげぇ嬉しかったんだ。…あのときは混乱してて、礼、言えてなかったかもしれないから……」
 
 マリアは振り返って、やわらかく微笑んだ。
 
「ありがとな」
 
 そして、素早く目を逸らすと、月を振り仰いで言った。
 
「てワケでまぁ……アレだ。”借りは返した”ってことよ!」
 
 照れ隠しのように豪快に笑うマリアに、リカルドは、知らないうちにとんだ貸しをしてしまったものだ、と嘆息した。
 
 
 
 
 
 
 心にできた深い傷、その溝に降った雨が流れ込むように、この日の出来事は古傷の痛みと共に、深く心に刻まれていた。
 
 この日見た月を、聞いた言葉を、私はいつになっても忘れることはできないだろう。
 
 
 

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