「リカちゃん、見ろよこれ、宝の地図!」
マリアは、手に持った古い地図を誇らしげに掲げる。エメラルドの瞳がきらきらと輝いていた。
「てワケで、今すぐ行こうぜ宝探し! …ておい。聞いてんのかよ」
目も向けず荷造りをするリカルドに、マリアは拗ねたように言った。
「……冷てぇヤツ」
どーせまた、『私は仕事がありますから、勝手に行って帰って来ないでください』とか言うんだろ。そう言いながら、マリアはリカルドに近寄ると、焦れたように腕を引いた。
「無視、すんなって! 何度も言ったが、俺は、お前と一緒じゃなきゃ……」
「貴方は、手ぶらで出かける気ですか?」
「…………あ?」
言葉の意味を掴みそこねて、腕を掴んだままきょとんとするマリアに、リカルドは鞄から顔を上げて、苦笑を向けた。
「……荷物の整理くらい、させてください」
「は? ……え? ……もしかして、俺の荷物をまとめて捨てちまおうとかそういう……」
「廃棄業者になった覚えはありません。それに、これは私の荷物ですが」
「……なんで?」
「出かけるのでしょう? 貴方も準備してください。宝探し、でしょう? 準備を怠ると怪我をしますよ」
「……リカちゃん。なんか、悪いもんでも喰った?」
ひどい言われようだ。とリカルドは苦笑した。しかし、今までの自分の態度を考えると、仕方が無いのだろうな、と少し悔いるように目を逸らす。
「……マリア」
低く、その名を呼んだ。その声の真摯な響きに、マリアはつい居ずまいを正した。
「私は、勝手に出て行け、などと言うつもりは無い。…置いていくつもりも、ありません」
マリアは息を呑んだ。目をあわせて、リカルドは言葉を継ぐ。
「一緒にいたい。と思っています。だから、連れて行ってくれませんか?」
そう言って、リカルドはマリアに手を差し出した。
一瞬、マリアは呆然とリカルドの目を、そして、視線をおろして差し出された手を見つめて。
そして、ふいにリカルドの手を勢いよく掴むと、声を上げた。
「よし! 連れてってやろうじゃねえの! 今更取り消しとか、なしだからな!?」
ニヤリと嬉しそうに笑って声をあげるマリアに、リカルドは微笑んで頷いた。
「じゃあさっそく行くぞ!」
マリアは、少し痛いくらいにリカルドの手を握って、外へと続く扉へと手を引く。
結局、荷造りもしないまま飛び出そうとするマリアに、リカルドは苦笑して声をかけようとして――
その声が届く前に、開かれた扉から眩い光があふれ、リカルドの視界を白く染めた。
6.やさしい夢
一瞬、視界が眩い光に覆われて。
世界が、白く塗りつぶされた。
夢は、唐突に終わりを告げた。
眩い光を浴びて、リカルドははじかれたように目を覚ます。
光の差す方を見ると、窓のカーテンを開けていたマリアが、少し驚いたようにリカルドを見ていた。
「…………どうして……?」
ここは未だ夢の中なのだろうか? 窓からこぼれる陽光に目を細めながら、幻でも見るようにマリアを見た。
「どうして。と来たもんだ。お前さん、まだ寝ぼけてンだろ?」
マリアはそう言って笑った。リカルドはそれをいっそう眩そうに眺めた。それは日差しのせいだけではなかった。
息が詰まるほど胸が痛む。
どうして。ともう一度。掠れた声で呟いた。
マリアはその様子に困ったように笑って、カーテンを端まで引いて窓を開けた後、ベッドへと近づく。半身を起こしてぼんやりとしているリカルドを、身を屈めて覗き込んだ。
「なに幽霊でも見たような顔してやがる。まぁだ夢の中か? 俺が誰か、分かってる?」
そう、悪戯っぽく笑って言う。リカルドは、未だ目の前の姿を幻のように見つめていた。 それでも、彼の問いには自然と答えが零れ出た。
マリア。と。
反射的に出た言葉は、相手にもはっきりと届いたらしい。マリアは、なんだそりゃ。と首を傾げた。
「寝ぼけてるつーか、お前、実はまだ寝てるんだろ? 俺のどこが女の子に見えるよ?」
手の届きそうな距離にありながら、それでもやはり、届かない。
――なあ、リカちゃん。
――たとえば明日。目が覚めた時に、俺がいなくなってたら、どうする?
あの日から今日まで。「はじめまして」を、いったい幾度、繰り返したことだろう。
何度出会いを重ねても、彼の記憶に私が刻まれることは、もう無いのだ。
……また、ひどく胸が痛んだ。息がつまるほど苦しい。
「おい、お前…大丈夫か? どっかツライとか…熱とかねぇよな?」
そう言って顔色を確かめるように覗き込んだマリアの目を、リカルドはかすむ視界でぼんやりと見つめながら。
気がつくと、そっと唇をあわせていた。
「……ッ!?」
マリアは驚いてリカルドから身体を離した。
「ちょ…お前、今なにしやがった!? 寝ぼけるにも程があるだろッ」
狼狽して掴みかかる勢いで問い詰めるマリアに、リカルドは動じるでもなく。ただ、未だ幻に焦がれるように、眩しそうに彼を見ていた。
「……マリア」
マリアはチッと舌打ちして、困ったような、諦めたような顔でリカルドを見た。
「……んな、捨てられた子犬みたいな目で見るんじゃねえよ……」
そう言って、子供をあやすようにリカルドの背に腕をまわして、軽く背をたたいた。
マリア。耳元ですがるようにささやく声に、マリアは諦めたように息を吐く。
しょうがねぇなぁ。そういって、困ったように笑った。
「……はいはい。わかった。わかった。俺の負け。
……お前が目ぇ覚ますまで、お前の『マリア』でいてやるよ」
だから、そんな泣きそうな顔するなよな。マリアは少しだけ身体を離して、目を合わせると、なだめるように微笑んだ。
「……マリア」
「ん。どーした?」
「……もう少しだけ、ここにいてください」
「分かった。ここにいる。どこにも行かねぇから、安心しろって」
マリアは抱きしめる腕をすこしだけ強めて、安心させるように背をなでた。
そのまましばらく、何も言わず、そうしていた。
リカルドは、未だ夢から覚めないかのように考えていた。
触れる手も、聞こえる声も、間違いなく彼だった。
確かめるように手を伸ばし、頬に触れる。
マリアはくすぐったそうにして、そしてふと、問いかけた。
「……そういやお前の名前、まだ聞いてなかっ……」
言いさした言葉を奪うように、リカルドはもう一度くちづけた。
もう少しだけ、やさしい夢を見ていたかった。
マリアは驚きに一瞬固まって、諦めたようにまたやさしく背をなでる。触れる手のあたたかさを感じながら、リカルドのまなじりから頬を、堪え切れなかった涙がひとすじ、伝いおちた。