「お前さん、一体何処の者かね。」
森林の中でもしっかりと舗装された道を、僧侶の服装をした人間が歩いていました。
僧侶に、この辺の村の方なのでしょうか。
一人の中年の男が、見た目よりも随分としゃがれた声で話しかけてきたのです。
「私は旅の者ですが。」
僧侶はぴたりと足を止めて、男に答えます。
そういえば、このあたりに村があるとか無いとかという話を聞いたなあ、なんて僧侶は思い出していました。
「見たところ、聖職者のようだが……違うかね?」
「はいかいいえで答えろといわれますと、はいです。」
中年の男は、しゃがれた声にぴったりの目つきを備えていました。
どこか疲れきったような、生きていながら死んでいるような目でした。
僧侶はそれを見ながら、1週間野草と水のみで過ごしていた時の知り合いの目と同じだな、などと感じていました。
最も、その知り合いはゴキブリよりもしぶとく今も生き永らえているでしょうが。
「おお……おお……そうか……なあ、聖職者さん、御願いだ、祈ってくれないかね。」
男はすがりつくような表情に変わり、僧侶を見つめています。
「何故ですか?」
僧侶はそんな男の表情を突っぱねるように問いかけます。
何故なら僧侶のは一銭にもならない事に対して労力を出すのは随分嫌っていたからです。
村自体、大変寂れたものだと聞いていたので尚更でしょう。
とても男が金銭に結びつくような物を持っているとは思えなかったのです。
「何故って……この村は呪われてるんだ。
呪いのせいで、沢山の人が死んだんだよ……そう、呪いの事を知らない奴が全員ね……
この道を通りがかった商人も、遠くからやって来た迷子の子も、腕の立つ旅人さえも……」
「呪いを払えとでも言うんですか?」
僧侶は馬鹿馬鹿しいと思いました。
住んでいる村人にならともかく、通りがかる人間を大勢殺すような呪いはそこら辺に転がっているようなものではない、ということを知っていたからです。
「いいや、ちがうさ。死んでいった人間に祈って欲しいんだよ。」
男がそう言ったとき、どこかで涼やかな鐘の音が一つ、なりました。
「何故?」
僧侶はなおも問いかけならも、鐘の音には気をつけたほうが良いと道中すれ違った剣士が言っていたのを思い出していました。
忠告を受けた人間が人間だったので半信半疑にしか信じていなかったのですが、ここの話だったのでしょうか。
涼やかな鐘の音は、再び鳴り響きました。
狭くうっそうとした森のどこからか、鐘がからん、からんと音を立てているのです。
「何故って―……そりゃ、安らかに眠って欲しいからさ。」
僧侶は気がつきました。
男は先ほどから何かを背で隠すようにずっと手を後ろに回している事を。
そして、自分を囲うように存在している沢山の人間の気配を。
「呪いという名のバケモノに、くわれちまった奴らをよぉ……」
僧侶から見えませんでしたが、男は背の後ろでバールのようなものを手にしていました。
その目は先ほどと打って変わって狂気に満ちています。
殺気を含んだねっとりとした空気の中、
からん、からん、と鐘だけが、場違いなほど涼やかに森の中で鳴り響いていました。
「…………で?どうなったんだ?」
村の先にあったとある町で。
僧侶はたまたま出会った知人の魔術師ふうの男と食事をとっていました。
二人は長いテーブルクロスのかかった小さなテーブルに、対面して座っています。
「あ、この先聞きたいです?」
僧侶は既に食事を終えているのか、向かいに座った魔術師を見つめるだけです。
ぴんと姿勢をのばし、手はひざの上。理想的な姿勢です。
「まあ、アンタが珍しく困ったんじゃないかって思うとなー。」
術師は対して猫背のまま料理をむさぼり食べていました。
ちなみにメニューはハンバーグ定食。
「別に喋ってもいいですけど、せっかくのお肉を反吐にすると思いますが。」
にっこりと微笑みながら、僧侶は言います。
術師はその笑みに体感温度がちょっと下がるような錯覚を覚えました。
「やっぱいい!数ヶ月ぶりの肉は美味しく食いてぇ!!」
術師は強く否定しました。
大昔、何処かの国の妖怪が作ったとされる伝説の料理、『人肉ハンバーグ』
その詳しい作り方など、とりあえずハンバーグ定食を食べている今は聞きたくないからです。
というか、食べて無くても聞きたくありません。
僧侶はそれを見てさらに笑みを深いものにします。
「でもですね、思ったんですよ。」
「何を?」
「呪いっていうのはですね、在るんですよ。誰の中にも。」
「……はあ?」
僧侶のスピリチュアルな言い分に、術師は首をかしげました。
というか、どっか打ち所でも悪かったんじゃないかと本気で思いました。
しかし、それを口にして自分がどうなるかもわかったものじゃないので黙る事にしました。
「その呪いは、簡単に封印が解けてしまうものなんです。意外にも、ね。」
くすくす、と僧侶は非常におかしそうに笑います。
「アンタ……熱でもあるんじゃねぇか?」
術師は怪訝な表情を浮かべながら、ハンバーグ定食についていた漬物を行儀悪く頬杖さえついてこりこり食べていました。
対する僧侶は、ぴしりと姿勢を正して、手はひざの上。
長いテーブルクロスの下でそれらは隠れてしまい、術師からは僧侶のへそ辺りも見えません。
「熱はありません。体調管理が出来ないほど愚かでもないんで。」
僧侶がにっこりと笑ったとき、
からん、からん、と食堂のドアにつけられた鐘が涼やかな音を立てました。
術師からは、僧侶の手元は見えません。
もし術師がテーブルクロスをめくったならば、見ることが出来たのでしょう。
僧侶が手に持っていた、鈍色に光る何かを。
からん、と鐘は涼やかに鳴っていました。