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ある悪魔の所業


 
 
 村の東、小さな山の中で、ふたりは堰を切ってあふれ出した水流を、じっと見つめていた。
 
 決壊した堤防の淵に立つ老兵は、傍らの少女の頭を優しく撫でた。
 
「おかえり、嬢ちゃん。悪い夢は、もう仕舞じゃよ」
 
 
 
 
  9.聖杯
 
 
 
 
 気が付くと、俺はずぶ濡れで、湖の淵に転がっていた。
 
 おお蘇生した。等と特に嬉しくもない調子で手を叩いている剣士を締め上げて、事情を吐かせたところによると。”偶然”この場を襲った津波に”不幸にも”巻き込まれた俺は、溺れて意識を失っていたらしい。ちなみに、天啓に従って高所に逃れていたヤツは無事でやがったそうだ。ふざけるな。どんな偶然で、山から津波が襲ってくるというのか。
 コイツじゃ話にならん。俺は”偶然足を滑らせて不幸にも湖に落ちた”剣士から視線を移し、こちらのやり取りを指差して笑ってやがった老兵を睨めつけ、説明を促した。
 
 俺達を襲った洪水は、この老兵の仕組んだ罠だった。
 少女の作り出した聖水は、あの桶に入ったものだけではなかった。裏山を流れる川を塞き止め、溜め込んだ大量の水をまるごと聖水に変えていたらしい。聖水を作り出す儀式というものが、どれ程労力の要るものかは素人の俺には分からないが、まったく根性のある娘さんだ。
 そして、俺達が魔物をこの場所へと誘い込むと同時に、堰を壊し下流へと押し寄せた聖水の激流は、小さな盆地を浅い湖に変えていた。聖水に飲み込まれた魔物の群れは、残らず浄化され、消え去ったという。
 
 俺は、今になって得意気に語る老兵の亡霊も、浄化してやりたい気分でいっぱいだった。
 悪霊め。そんなことは、最初に言え。
 
 
「それで結局、どれが親玉の『石の悪魔』だったんだ」
 
 朝日を反射してきらきらと輝く巨大な聖水の杯を眺めながら、俺は老兵に問う。
 老兵が、背後で笑った。
 
「否、あ奴はこの中にはおらんよ。
 親玉の相手は、お主等には荷が重いかと思うてのう。別の場所で退場願ったわ。
 お主等に任せたのは、雑魚の始末だけじゃよ。実はの、他にも助っ人がおったのよ」
 
 夜を徹して駆け回り、果ては溺れかけたこの一夜の苦行を『雑魚の掃除』で片付けると言うか。俺はしぶとく手元に転がっていた水鉄砲を拾い上げ、老兵へ向け撃った。放たれた聖水は見事に老兵を撃ち抜いたが、ヤツは涼しい顔だった。悪魔の境界線は、あまりにも理不尽だ。
 
 
 
 
 
 年季の入った古木の門をぬけて、俺と剣士そして少女は小さな村へと戻ってきた。
 
 民家と畑がひかえめに並ぶちいさな村の広場には、石化の解けた村人たちが集い、互いの無事を喜び合っていた。
 少女は駆け出した。少女の向かう先には、少女の両親だろう、ひと組の男女の姿があった。少女は二人に飛びつくと、声を上げて泣いた。二人は少女をかたく抱きしめ、「おかえりなさい」と少女の頭をやさしく撫でた。
 村に、平和な日常がかえってきた。
 
 
 結局、村人は皆無事元に戻り、被害は家屋の少々…とは言い難い破損。そして何故か、村のはずれにある蔵の中身が根こそぎ奪われていた、という事のみに留まった。
 余談だが、俺たちの『村人救出作戦』という名の破壊活動の全貌は、彼らには明かしていない。無論、功績よりも罪の重さが勝る気がするからだ。よって、家屋の被害は全て”魔物たちのせい”ということになっていた。とんだ冤罪だ。故意にそう仕向けた訳だが。世知辛いことに、世の中最後に勝った方が正義である。
 しかし、村の倉庫の盗難に関しては、俺と剣士にはまったく覚えがなかった。
 
 村のはずれの蔵には、昔の大戦で散っていった勇者たちの遺した、数々の品が眠っていたという。
 おそらく、それは貴重な武器や防具たちが、惜しくも押し込められていたことだろう。伝説となっているアイテムかもしれない。まったく口惜しい。そうと知っていたなら、こちらの犯人も間違いなく俺であっただろうに。
 こんなものを奪ってどうするんだ? 価値を知らない村人たちは、しきりに首を傾げていた。
 
 泥棒の正体は、俺には分かっていた。
 
 思えば、最初からアイツはひとりで村を探っていたではないか。
 あの悪魔は、単に一番金になりそうな物を持ち去っただけに違いない。
 
 いつの間にか姿を消した知人の姿を思い浮かべ、俺は諦めの溜息をついた。
 
 

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