墓標

自らの名の刻まれた墓標を枕に、森の中で男が眠っていた。

食料のたっぷり入ったバックを持って、
暖かい毛布をたくさんかぶって、
分厚い財布を大事に握って、男は森の中で眠っていた。


通りすがりの旅の術師が、寝ている男に声をかけた。

「何やってるんだ」旅の術師は男に問うた。
「自分が朽ちるのを待っているんだ」男はそう答えた。
「なんでそんなことするんだ」術師は再び問う。
「こんな世の中には嫌気がさした。
 それにもう生きるのが面倒なんだ」男は面倒そうにそう答えた。

「そうか。ならもうこの食料は必要ないよな」
旅の術師はそう言って、男の持つ食料のたっぷり入ったバックを奪った。
「何をするんだ! それは私の食料だぞ、返せ泥棒!」男は慌てて抗議した。
「アンタもう生きるの面倒なんだろ? なら食料なんて必要ねえよな。
 俺は二日くらい何も食ってなかったんだ。必要ないものなら、有難くいただいていくよ。
 俺は生きたいんだ」

そう言って、旅の術師は食料の入ったバックを奪って去っていった。



それからしばらくの後。

男はまだ墓標の元で眠っていた。

暖かい毛布をかぶって、分厚い財布を大事に握って、眠っていた。


通りすがりの旅の剣士が、寝ている男に声をかけた。

「こんなところで何をやっている」旅の剣士は男に問うた。
「自分が朽ちるのを待っているんだ」男は剣士にもそう答えた。
「何故そんなことする」剣士は再び問う。
「こんな世の中には嫌気がさした。
 それにもう生きるのが面倒なんだ」男はとても面倒そうに本日二度目の答えを述べた。

「そうか。それならこの毛布はもう必要ないな」
旅の剣士はそう言って、男のかぶる毛布をすべて奪った。
「何をするんだ! それは私の毛布だぞ、返せ泥棒!」男は慌てて抗議した。
「朽ちるのを待つことに暖が必要か? この毛布はもう必要ないのだろう。
 この地方の夜がこれほど冷え込むものとは知らなくてな、私はうっかり薄着してきてしまった。
 寒いのは好きではないんだ。だからこれは有難く使わせてもらおう」

そう言って、旅の剣士は毛布をすべて奪って去っていった。



それからしばらくの後。

それでも男は墓標の元で眠っていた。

手には分厚い財布だけ、大事に大事に握って、眠っていた。


通りすがりの旅の僧侶が、寝ている男に声をかけた。

「何をなさっているのですか」旅の僧侶は男に問うた。
「自分が朽ちるのを待っているんだ」男はそう答えた。
「何故そのようなことを」僧侶は再び問う。
「もう生きるのが面倒なんだよ」男はとてもとても面倒そうにそれだけ言った。

「そうですか。ではこのお金はもう必要ありませんね」
旅の僧侶はそう言って、男が大事に握っていた分厚い財布を奪い取った。
「何をするんだ! それは私が今まで稼いできた大事な全財産だ! 返せ泥棒!」男は大慌てで抗議した。
「生きることが面倒なのでしょう? 墓にお金は持っていけませんよ。
 このまま使われないのであれば、私が有効に活用させていただきます。
 このまま土に埋もれてしまうだけなんて勿体無いでしょう」

そう言って財布を奪って立ち去ろうとする僧侶に、寝ていた男は起き上がり掴み掛かった。

僧侶は飛び掛る男を軽くかわして去っていった。
勢いで倒れた男は、起き上がりそれを追った。

男は必死に森を走った。
男は、自分が生きてきて唯一自分が作ってきたものである財産を手放したく無かった。

それに、男にはもうその金しか残っていなかった。

このままでは本当に引き返せなくなると思うと、怖かった。




男は、しばらく僧侶を探し森を走り回った。

しかし、やがて諦めてもといた場所へと戻ってきた。

自分の名前が刻まれた墓標の立つ森の中へ。


男は墓標の前に腰を下ろして考えた。
いや森の中を駆けている間に気づいていたのかもしれない。

私は、思っていたよりも生きることに執着しているのではないかと。


森の中とはいえ、町から遠いとはいえ、
人通りの少なくない街道沿いに墓など構えて。

たくさんの食料をもって、あたたかい毛布をもって。

捨て切れなかった金をすべて持って。

そしてそのすべてを奪われた。


奪われてはじめて、気がついた。


そうやって考えていると、なんだか今やっていることがとんでもなく馬鹿馬鹿しく思えてきた。

今までの自分に対しての苦笑を浮かべ、ため息をひとつついて、男はひとり呟いた。


「帰ろう…」


何も無くなった。
いちからのやり直しだ。
しかし、裕福ではなくても、畑でも耕してなんとか生きていけるのではないだろうか。

ここから町に帰ることすらできるかどうか分からない。
暖は取れないし、食料はなくなった。金もない。

それでも、帰りたいと彼は思った。






彼は起き上がり、穴を掘って墓標を埋めた。

生を諦めていた自分に別れを告げて、立ち上がった。




そこへ、通りすがりの旅の術師が声をかけた。

術師は食料の入った小さい袋を差し出して言った。
「お供え物だ」
驚く男に無理やり食料を押し付けて、こう続けた。
「全部もらっちまう訳にはいかねえだろう、流石にな。
 それに、墓見ると供え物してみたくなる癖があるんだ。
 …この食料は、ここで朽ちるよりもアンタに食ってもらったほうが幸せだろうけどな」
最後に小さくそう付け足して、術師は足早に去っていった。



呆然とする男の元へ、通りすがりの旅の剣士が声をかけてきた

剣士は一枚の毛布を差し出して言った。
「余った」
驚く男に無理やり毛布を押し付けて、こう続けた。
「よく考えると野宿の予定がなかった。
 寒いのは嫌いだが、こう何枚も毛布を巻きつけて歩くと動き辛いものでな。
 使い切れなかったもので残念ながら返品にきた」
散々自分勝手なことを言って、剣士はそのまま去っていった。



食料を手に、毛布を巻きつけられて、
呆然と立ち尽くす男の元へ、通りすがりの旅の僧侶が声をかけてきた

僧侶は薄くなった財布を差し出して言った。
「お財布、お返ししにきました」
驚く男に無理やり財布を押し付けて、こう続けた。
「中身はかなりいただきましたよ。
 しかし、このお財布までいただいてしまうのは、なんだか泥棒のようでいただけなかったので。
 後味が悪いのは嫌いなのでお金も少々残してみましたよ」
十分泥棒だ。そう男がつっこむ隙もなく、僧侶は背を向けた。
そして去り際にこう付け足した。
「それと、このお金を土に埋めてしまうのは勿体無い、と言いましたけれど。
 あなたもここで埋まるには勿体ないですよ」
そのまま振り返らずに、僧侶は去っていった。






一年後、墓標のあった森の中。

そこには再び墓標が立つことも、供えられているものもなかった。

ただ、畑を背景に微笑む男の写真と『泥棒へ』と書かれた小さな紙だけがそこにあった。



偶然通りかかった三人の旅人たちが、その墓標の埋まる墓を見て小さく笑って去っていった。


[ 小話メニューへ戻る] [ トップページへ戻る]