英雄

北に大きな国があった。
その国は元々小国であったが、近年突如力を増していった。、
近隣の小国を次々と侵略し、飲み込んで大きな国となった。

そして近頃、またひとつ小さな国が飲み込まれ消えていった。


その大きな国にはとても有能な大臣がいた。
陰で国を動かしていたその大臣は、国の成長にとても満足していた。

しかし近頃、彼はそれはそれはスリリングな日々を送っていた。

数日前、突然廊下の床が抜け落ちたことがあった。
落ちた先に偶然水が張られていたため、怪我は無かった。
問題はその張られていた水が浴場のものであったこと。
さらに女性用のものであったことか。
その日から、未だ陰で『のぞき魔』と笑う声が絶えない。

さらに数日前。
訓練場の側の通路を部下と歩いていて、流れ矢にあった。
しかし、偶然手帳を落とし拾おうと身をかがめた瞬間であったため、怪我は無かった。
問題はその矢が彼の頭上すれすれを通り過ぎ、髪に引っかかったこと。
彼の髪に先端を引っ掛けたまま、矢は飛び去った。彼の髪を持ち去って。
突然のカツラ着用という事実発覚に、部下達と偶然通りかかった城の者達は呆気にとられていた。
まだ誰にも知られていなかったのに。
『驚愕!天駆けるカツラ』
そう書かれたビラを破り捨てた時の怒りは未だに忘れられなかった。

このように、かなり真剣に命に関わるような危険から、どっと脱力させられるような事件まで。
その種類は様々だったが、大臣は自分の不運をしきりに嘆いていた。
実は彼は大変な幸運の持ち主だったのだが。
なぜなら、彼はここ数日で数十回もの命拾いをしていたからだ。
彼は命を狙われていた。



国の繁栄に喜び賑わうこの城に、悩める男はもう一人いた。
それは最近昇格したばかりの若き騎士団長だった。
城の会議室の扉を開きながら、彼はひとつ大きく息を吐いた。
扉を閉め、廊下へ出たところで仲間と会い、最近元気が無いと心配された。
騎士団長の男は哀しげに言った。
自分がついていながら、大臣の身を危険にさらしてしまっていることが悔しいのだと。
この国では騎士団長は大臣の護衛も任されていた。

彼を元気づけようと飲みに誘う仲間に、訓練をしたいからと断り、騎士はその場を離れた。
先が見えないほど長く続く、大きな城の廊下。
しばらく進んだ先に、廊下の壁にもたれ掛かる人影が見えた。

それはひとりの僧侶だった。
確か、王が最近どこからか拾ってきて、何故か傍に置き贔屓にしている客人だったはずだ。
こんなところで何をしているのか。
そう思いつつも、騎士は軽く会釈だけして、僧侶の前を通り過ぎようとした。

大変みたいですねぇ、事故にみせかけて命を狙うのって。

突然、まるで独り言のようにその僧侶が言った。
通り過ぎようとしていた騎士は、目を見開き、僧侶を振り返った。
穏やかに微笑む僧侶と目が合った。彼は間違えなく騎士を見て言ってきていた。

大臣の命を狙う者。
それは大臣の護衛をしている騎士団長の男だった。
大きな国に侵略され、滅ぼされた近隣の小国の騎士だった男は、
復讐と、国の復興のため、この国の騎士団に潜り込んでいたのだ。
戦で功績を立て、騎士団長にまで成り、大臣の護衛として近くにいる機会を手に入れた。
そしてここ数日、守る振りをしながら討つ機会をずっと狙っていた。
しかしそれは誰にも気づかれていないはずだったのだが。

騎士は困惑した。
王の飼い犬に嗅ぎ付けられた。
この僧侶はきっと自分を始末しに来たのだ。
そう考え、騎士団長の男は素早く距離をあけ、剣に手を掛けた。

自分に剣を向ける騎士を、僧侶は笑って宥めた。
そして笑いながら言った。
私はね、貴方があんまり手間取っているようだから、お手伝いしようかと思ったのですよ、と。
ますます混乱を極める騎士。
僧侶は続ける。
ああ、罠とかじゃないですから、安心してください。
ただ、王様に媚売って甘い汁吸うのも飽きて来ちゃいまして。
そろそろ一波乱起きないかなーと思っていたのですよ。

もはや唖然とするしかなかった。
しかしそれでいいのか、と騎士は問う。
復讐が果たされたら、もはやこの国では楽に稼げなくなるだろうと。
僧侶はそれを否定した。
一見自分にとって得のないようなことでも、得るものがあることもあるのですよ、と。
騎士団長の男は感心して、僧侶に問うた。
どんなものですか。
僧侶は言った。
金銭とか。

騎士団長の男は思った。
甘い汁、吸い足りないんじゃないかと。



数日後、大きなお城の大きな礼拝堂。
大臣は大きな扉を自分で押し開け、薄暗く人気の無い礼拝堂へと入った。
二人でしたい話がある、と王から呼び出しがあったと護衛の騎士から聞いたのだ。
人払いがしてあるのも当然のことと思った。
まさか灯りまで無いものとは思っていなかったが、仕方がないと思い、
大臣は礼拝堂の奥の女神像の前まで向かった。
薄く開いたままの廊下から差し込む光に照らされ、薄闇に浮かび上がる女神像の前についた。

そのとき、背後から扉の閉まる音が響いた。
驚いて振り返ると、目の前に何者かが立っていた。
その人物は、大臣も何度か見たことがあった。
最近王が気に入っていた客人の僧侶だ。

何事だ。王はどうされた。
そんなことを聞こうとした大臣は、しかし問う前に凍りついた。
僧侶の手に短剣が握られているのが見えたからだった。

一歩。無言で近づく僧侶。
大臣は情けない声を上げながら後ずさる。
しかしすぐに背が背後の女神像へと触れた。
恐怖に腰を抜かした大臣は、その場にへたり込み震えた声で喚いた。
お前は神に仕える身だろう。こんなことをしていいのか、と。
僧侶は、怯えた目でみる大臣を見て微笑んだ。
神様がもし、本当にいらっしゃるのなら。
穏やかな声音のまま続ける。白刃を振り上げるのが見えた。
まず、私がこれからすることをお止めになるはずですよ。
言って振り下ろされる白刃。

恐怖に声も出ず、大臣はただ目を瞑った。
短剣はまっすぐに振り下ろされ、しかし大臣の真横に張られた透明のワイヤーをぶった切った。

礼拝堂の高い高い天井から、絶妙のコントロールで落ちてきた特注サイズ金ダライは、
まるで喜劇のごとく、実にいい音を立て、大臣の昏倒させたのだった。



数刻後。意識を取り戻した大臣は、僧侶の顔を見るなり悲鳴を上げて去っていった。
その日のうちに荷物をまとめ、国から逃亡したという。

陰の主導者が逃げた国にもはや支配した地域をまとめ続ける力はなかった。
目的を果たすことができた騎士は、僧侶に何度も何度も礼を言った。
しかし気になることがあった。
事前の準備や計画、そんなものをしてまで何故大臣を生かせたのかと。
僧侶は微笑み答えた。私の信念なのです、と。
どんなものですか。騎士は問うた。
僧侶は言った。
生かさず殺さず、です。



大きな城の大きな城門。駆け回るたくさんの兵士達。
各地の侵略された領土が反乱を起こしているとの報が飛び交っていた。
そこへ立つ僧侶と騎士。
騎士は言った。
私はこれから国へと戻り国の独立と復興に取り掛かります、と。
遠い祖国の方を見て、そう決意を述べてから、僧を振り返る。
本当に感謝しています。国が再建を果たせば、貴方は英雄ですね。
僧侶は笑って言った。
それはすごい。英雄って自給いくらくらいもらえますか?と。
騎士はそれにどこまでも真面目に答えた。
貴方は国を救った勇者なのです。今はまだ大金は出せませんが、貴方が望むだけ払えるようにします。

僧侶は小さく息を吐き、苦笑を浮かべた。
そして、からかうように言った。
まったく貴方は真面目がすぎます。そんなじゃ貢いでもらっても楽しくないですよ。
私は楽しいことが一番好きなんです。
それを聞き、本気で困った顔をしている騎士を見て、僧侶は笑って言った。
貴方がもう少しおもしろい人になったら顔をだすとしますよ、と。

そう言って背を向け、城の中へと戻って行く僧侶。
そこへ、背後から騎士の叫びが響いた。
国の復興共々、努力します!
僧侶は背を向けたまま、何も言わずに去って行った。
しかし、大笑いしそうになるのを堪えるのに必死だった。



その後、僧侶は混乱に乗じ、持てるだけ城の財宝を担ぎ出した。

大きな国の関所を抜け、馬車に揺られながら財宝を品定めしていた。
道具袋いっぱいの宝石や札束を眺める。
思うことは腐れ縁の仲間のこと。
自然と笑みを漏らし、僧侶は思った。

とりあえず、いつも腹をすかせている彼を、この札束で張り倒してみよう、と。


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