橋の上

「それは壮絶な戦いだった」



ある町の酒場の隅、窓際の二人掛けの席に座る剣士は唐突にそう語り出した。

「ほーそれはすごそうだ」

向かいに座る術師は、気力と感情と抑揚に欠ける声で相槌を打った。
しかしその目は真剣に、広げた紙に落としたままで。
見出しには大きく『競艇』と書かれてあった。



「舞台はこの街の橋の上だ」

構わず剣士は淡々と続けた。
軽食屋も兼ねる昼時の酒場、突如始まった武勇伝に客達の奇異の視線が控えめに集まりだしていた。

「へー」

そういえばこの街は『水の都』とかなんとか呼ばれている観光地で、街中に水路や橋があるんだったな。
頭の片隅でそう考えながら、競艇新聞を見る真剣な眼差しはそのままに、術師は再び気のない相槌を打った。

「街の入り口に架かっている街道と街を繋ぐ最も大きな橋があるだろう。
 私はつい昨日、夕刻からしばらくの間その橋を通る者全てを阻まねばならないという依頼を受けた。
 しかし、依頼は私が思っていた以上に過酷なものだった」

その戦場を思い出すように一呼吸置いて、再び剣士は淡々と続けた。

「普段は入国する者も多くないはずの夕刻の橋の上に、何故か街の中心部から必死の形相の老若男女が押し寄せてきた。
 数は千を越える程だ。
 皆が荒い息で力の限り橋の先へと向かって来たものだから、私は仕方なくその全てを川に放流せざるを得なかった」

聞き耳を立てていた客達が小さくざわめき出した。
そして皆、放流された大勢の民間人に同情した。
命に別状はないだろうが、春先のこの季節にはなかなか酷な強制寒中水泳を満喫させられたのだろうから。

「大変だったなー」

そういえば、昨日はこの街の月恒例行事のマラソン大会の日だったか。
確か街の入り口の橋から出発して街を一周してまた橋まで戻る、というコースだったような気がする。
テーブルに広げた紙に赤いペンで印をつけながら、術師はぼんやりとそんなことを考えながら聞き流しに徹していた。

「何を求めてあの様な行動をしていたかも分からない一市民にしか見えない彼らを退けることは、流石に良心に響いたが、
 私には橋の上の『ゴール』と書かれた旗の立つ場所を守りぬかねばならないという仕事があった、仕方がなかったのだろうな」

いや気づけよ。そう近くの客からちいさな囁きが漏れた。



ふと気になって、術師はずっと見ていた紙から顔を上げた。

「そういやアンタ、その仕事の依頼料はもらったのか?」

話を聞く限り、おそらく誰かがいたずらでこの行事を妨害するために依頼したのだろう。
騒動を起こさせるだけ起こさせて、本人はとっとと何処かへ姿を消しているはずだ。
もちろん依頼料を無駄に前払いしているようにも思えない。
しかし、いかにも自慢気に語っている様子の剣士は、そんな災難にあった後のようには見えなかった。

その前に、それだけの騒動を起こしているのならば、その場で警察にしょっ引かれていないことも疑問に思えた。
こんな酒場で堂々と武勇伝を語っている場合なのか。

「当然だ。依頼達成の直後にそれはもう迅速に依頼料をもって駆けつけてくれた」

そんなことがあるのだろうかと悩む術師。
剣士は構わずこう続けた。


「迫り来る民間人をちぎっては投げている間に、先日みた劇を思い出してな。
 ふと、真似てみたくなったんだ。主のために、まぁそんなコンセプトで。
『ここは依頼主の命故に通すわけにはいかない』または『これも依頼主のためだ』等と依頼主の名を連呼してみた。
 これで放流された民間人も、私は依頼主のために仕方なしにやっているのだと理解してくれたことだろうしな。
 そうしているうちに、私の熱演を依頼主が聞きつけたようだった。
 もう十分だ、と労いの言葉と共に依頼料を渡されたんだ。
 そういえば、あれから依頼主とは会っていないが、
 結局私がこの仕事を達成したことで彼はそれからどうしているのだろうと気になっているのだが、どう思う?」

そう問う剣士に、術師は再び手元の新聞に視線を戻しながら、やる気なく答えた。


「今頃、寒中水泳でも満喫してるだろうな」


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