蜘蛛の糸
暗く狭い牢の中。
4人の人物が、仲の良い家族が食卓でも囲むかのごとく、
一見とても和やかに顔つき合わせて座っていました。
「まるで家族団らんといった雰囲気ですね。お父さん」
と、その中の一人である僧侶が言いました。
「父、母、息子と犬一匹か。典型的な核家族だな。お母さん」
と、その中の一人である剣士が言いました。
「なんでぶち込まれた牢屋にいる人間の八割が知人なんだ。
つうかアンタらなんでそんなに和やかなんだ。
4人もいんだから無理に核家族にする必要ねぇだろ。
ああもう、盗みに入ったことは本気で反省するから、ここから出してくださいホント頼む」
と、その中の一人である術師が、頭を抱えてなにやら小声で呟いていました。
僧侶は、そんな術師に向かい、労わる様に優しく微笑むと言いました。
「ポチ。無駄吠えはいけませんよ」
「そうか俺が犬か」
そんな心温まる会話を、突如息子役に抜擢された男は無言で見守っていました。
それは、術師にとっては見知らぬ人物でした。
彼は出会ってから一度もしゃべっていませんでしたが、
術師は「まぁヤツらのノリについていけないのだろう」と至極納得した様子で、まったく気にしていませんでした。
「しかし、珍しいな」
術師は、僧侶に向かって言いました。
「どっかの剣もった不審者ならともかく、アンタがあっさり捕まってるなんてな」
「明らかにしくじったみたいな言い方やめていただけませんか。
言いがかりで警察に詰め寄られて道端で尋問されましてねぇ」
「きっと正義感溢れる警官だったのだろうな。
悪に一人で立ち向かう精神は尊敬に値するが、喧嘩売る相手を間違ったとはかわいそうにな」
「言いがかりですってば。
こんな犯罪などとは縁遠い、清らかな聖職者を捕まえてそんな…大変な誤解です。
しかし、こちらがどれだけ誠意を持ってお話しても、ご理解いただけず…」
僧侶はそこで言葉を一度切り、困った様な笑顔で続けました。
「ムカついたので、彼の筆跡と印鑑真似て作った『辞表』と書かれた紙を、ちょっと交番に届けちゃいました」
「それは犯罪だ」
術師は、実に投げやりな突っ込みだけを返しました。
初めて会ったはずの相手の筆跡を知っている事だとか、
どうやって相手の印鑑を手に入れたのだとか、
そう簡単に偽造できるか等という疑問が、一瞬脳裏を過ぎりはしましたが、
「こいつだから」の一言で切り捨てました。
そのやりとりを、黙って見ていた剣士が、いつも通りの無表情で術師に問いかけました。
「私には聞かないのか」
術師は、いかにも面倒といった表情で視線だけ剣士に向けると、投げやりに答えました。
「アンタが牢屋に入っていることに、なんか特別な理由があるのか。
各地の拘置所と賃貸契約交わしてるんじゃねえかってくらい渡り歩いてる気がするし。
実際、別荘みたいなもんなんだろ」
「散々な言われようですね」
「まぁ、否定はしないが」
「いや、しろよ」
術師は律儀に突っ込んでから、未だ聞いて欲しそうな視線を向け続ける剣士を、心から嫌そうに睨みました。
そして、ため息をひとつ吐いてから、
「言っとくがな。
警察はカツ丼を恵んでくれる施設じゃねえぞ。
ヤツ等は頼んでるだけで、しかも別にタダじゃねえ。
罰金と保釈金って項目でしっかり料金とられてんだ。
カツ丼食いたいなら、普通に店に行け」
精一杯の嫌味を返しました。
剣士はそれに対して、何故かうむと頷いてから言いました。
「確かに、そこまで知られているのであれば、私の説明はいらないな」
「やめてくれ。ちょっと嬉しそうな目で俺を見るな。つうかマジなのか」
再び頭を抱えたくなった術師はしかし、
先ほど剣士から感じた「聞いて欲しそうな視線」が、
別の方向からも向けられていることに気づいてしまいました。
見ると、例の息子役の男がじっとこちらを見ていました。
「…………アンタは、どうしてこんなところに?」
それに術師はちょっと嫌そうに、かなり面倒そうに問いかけました。
それに対して男は、表情を変えないまま、しかしどこか嬉しそうに答えました。
「目立てると思った」と。
「伝説のシノビというものを知っているか」
男は続けてこう聞きました。
術師は聞き覚えがないと、首を傾げましたが、
知っていたらしい僧侶が答えを返しました。
「生きながら伝説となっているシノビ、という者がいるそうですね。
歴史に名を残すとかなんとか、騒がれているようですが」
「その知名度はシノビとしてどうなんだ」
「もはや忍んでないな」
外野から立て続けに入る突っ込みに、
僧侶は「いえ」と短く否定して、続けました。
「伝説と言われているくらいですからね。
実在するかも定かではないですし、
私も昔、好奇心で調べたことがありましたが、
たいした情報も仕入れることはできませんでしたよ」
と困ったように言いました。
そしてこう続けました。
「本名すら知ることはできませんでしたが、出身は東の島国。
家族構成は祖父、父、母、姉が二人。
身長は成人男性よりやや高め、体重は軽めで、体脂肪率は8。
得意料理は肉じゃがと案外家庭的……この程度ですね」
「詳細な個人情報事情が手に入っているようだが」
「なんかもう、その道のマニアさんがいらっしゃらないか」
再び騒ぐ外野。
「いっそ本名だけ不明といわれたことに、違和感すら覚えますよね」
僧侶が疑問を口にすると、伝説のシノビについて尋ねた例の男が口を開きました。
「ヤツの本名は、フメイというが」
ああ、なるほど。と納得する僧侶と。
プライバシー皆無じゃねぇかと、見知らぬシノビを案ずる術師と。
話に飽きたのか何やらごそごそと荷物を漁っている剣士。
そんなそれぞれの反応をあまり気にした様子も無く、男は続けました。
「俺は、その伝説のシノビの同僚なんだが」
男は少し寂しそうに俯いて、呟きました。
「俺はヤツが羨ましかった」
「ヤツは何をやっても目立った。
なのに俺は、いつも誰にも気づかれない。
依頼者すら俺の顔を知らない。
誰も俺の存在を知っているものがいないんだ。
同僚からもいつも、存在感がないだの、気配がないだのと文句を言われる。
俺は、ヤツのように目立ちたかった」
「いやそれは」と術師が突っ込む前に、男はさらに続けました。
どうやら熱が入ってしまっているようでした。
「捕まれば俺の存在は知られるだろう、とは思ったが。
警察も衛兵も俺を捕まえることすらできない。
だから、仕方なく自分から牢に入ってみたんだ。
未だに看守が俺の気配に気づかないのだが」
職業柄の黒装束に身を包み、もはや癖なのか気配を消している男が、
使っている覚えのない牢屋の影に潜んでいて、
果たして気づくものがいるだろうか、と術師は思ったが面倒なので突っ込みませんでした。
気づいたところで、ホラーな光景だが。
気の弱い者なら、意識と一緒に記憶も飛ばすだろう。
この捕まったふりして目立とう計画は、とても勝率の低い賭けだな。
そんな結論に同情していると、
その隣で、僧侶が言いました。
「それでは、歴史に決して名を残さないシノビとして、有名になればいいではないですか」
「どういうことだ」
話がいまいちわからない、といった風に男が問いかけました。
「貴方が目立てないのは、それだけ貴方が有能だということです。
なら、決して正体を知られないシノビがいるって噂を流せば良いでしょう。
ただ派手なだけの伝説のシノビという者よりも、きっと有名になると思いますよ。ねえ?」
と僧侶に振られ、
「まぁその噂は、話の種に使わせてもらうから」
術師はそう、投げやり気味に言いました。
そして、「アンタのことだとは皆気づかないと思うけど」
という言葉だけは口に出さずに、そっと苦笑に変えました。
唖然、とした様子でその言葉を聞いていた男が、口を開けて何か言おうとした瞬間、
「そうか、話はまとまったようで何よりだ。では私はそろそろ宿に帰ろうと思う」
とまったく場の空気を無視した、剣士の声が響きました。
「帰るってアンタどうやって…」
マイペース極まりない声のした方向へ術師は視線を向け、
そしてすぐ、知人の異変に気づきました。
「胸部に、人類には到達できない規模の凹凸があるように見える訳だが、
何盗んで詰め込んだ。正直に話せ」
即座に自分の荷物を確認しようとする術師を「まあまて」と引き止めて、剣士は言いました。
「瞬時に盗みと判断されるとは悲しいことだ。
期待に胸を膨らます、という言葉があるだろう。
期待やその他溢れんばかりの夢と希望に満ち溢れている私の胸部が膨らんだとして、
何も違和感はないと思うが」
「俺の知らない間に、そんな進化を遂げてしまった人類が悔やまれるな」
術師が、引きとめようとした剣士の腕を振り払っていると、
剣士の胸部の凹凸が突如ごそごそと動く瞬間が目に入りました。
「俺の目の錯覚でなければ、可動式なのかアンタの乳は」
「胸躍るという言葉があるだろう」
「活きがいいな…」
もはや突っ込む気力もないようでした。
「まぁこれは牢に入れられるまえに、こちらの建物から拝借した「あるもの」だ。
さすがに袋に詰めて出ると見つかるだろうと思った。
これなら変装とカモフラージュで、一石二鳥というものだろう」
怪しさ3割増しだろうけどな。とはもう突っ込まず。
むしろそれでまた捕まるのならば、ぜひ捕まれと呪詛すら送りつつ術師は温く相槌を打つだけでした。
「では、出かけてくるぞ。おかあさん」
と手に持った牢屋の鍵を鉄の扉に差込みながら、剣士は振り返って言いました。
術師は一瞬目を見張り、咄嗟に立ち上がり何か叫ぼうとしましたが。
「はい、いってらっしゃい。おとうさん」
と笑顔で手を振りながら、僧侶が答え、それに「うむ」と頷くと、剣士は牢から出て行きました。
「出かける際は、忘れぬよう施錠を心掛けねばな」
凍りつく術師に、外から暢気な声が止めを刺しました。
ガシャン。
カツカツカツカツ。
重い錠の下りる音と、足音のみが、牢の中に響いていました。
術師は突っ込むタイミングを逃し、そのままずるずると床に座り込みながら、
「まだ続くのかよこの核家族コント…」とだけ、力の抜け切った声で呻きました。
剣士が持っていた鍵は、術師が牢に入れられる際に、看守から盗んでいたものでした。
あの可動式の胸の中には、夢と希望と「あるもの」以外にも、詰められていたようでした。
脱力する体と思考に無理やり力を入れて、
とにかく何か俺たちも逃げ出す手段を、と僧侶に提案しようと振り返ると。
そこには、例のシノビ以外見当たりませんでした。
「あの坊さんはどこ行った」と術師がシノビに詰め寄ると、
シノビはとても苦い表情をして言いました。
「いつ出て行ったのかわからない。気配がまったくなかった」と。
術師がまた知らないほうがマシな知人の生態知識を身に着けつつ、
今度こそ座り込んで頭を抱えていると、例のシノビから声がかかった。
「世話になった」
術師は未だ面倒そうに俯いたまま「別に」とだけ答えました。
「実力があるからだと言ってもらえて、嬉しかった。例を言う。
誰にも「俺」を知られないのはやはり寂しいが…」
術師は、面倒そうに顔を上げると面倒そうに呟きました。
「忘れねぇよ。
俺たちが、きっと忘れない。
アンタ妙にインパクト強かったから」
と言いました。力いっぱい本心でした。
しばらく魘されそうな体験の原因の一端だ。
どちらかというと忘れたいが。と苦い顔をしながら。
シノビは驚いた顔をしました。
そして、少し嬉しそうな顔をしました。
「そうか」
そしてすぐに背を向けました。
「ありがとう」
ちいさくちいさく、呟いて、そしてその場から消えようとする背に、
「いやまてちょっとまてっ!!!」
という、術師のなんとも情けない叫びが届きました。
「俺も、連れて行ってくれ!」
あの馬鹿に鍵盗られちまって逃げ出せねぇ、
と愚痴りつつ頼む術師に、シノビはかなり困った表情で言いました。
「す、すまない…俺は一人でしか行動をしたことがない。
連れて逃げることは無理だ」
と、とても困った声で告げました。
そして、迷った末に牢の壁に手を翳しました、
すると、石でできた壁の一部が砕け散り、外へと繋がる大きな穴ができました。
「ここから逃げてもらえるか。
看守が音に気づくと思う。できるだけ急いでくれ」
術師は驚いた表情でシノビを見ました。
「こんな目立つことしちまっていいのか」
そう尋ねると、シノビは、
「初めて捕まることが出来るかな。
それはそれで、目立っていいだろう」と困ったように笑って言いました。
そして、先にまぶしい太陽の光の射す外へと、身を躍らせていきました。
ずいぶんとお人よしなシノビだな、とその背を見送りながら術師は苦笑しました。
そして、ふと妙なことに気づきました。
あのシノビは、間違えなく穴の外へと「飛び降りて」行った。
考えてみればここって建物の何階?などという、今更な疑問を苦笑を浮かべつつ、呟くと、
覗いた穴のその向こうは、見事な空だけが広がっていて。
視線を下へと降ろせば、約5階分の距離が、恋しい地面との間を邪魔しているのが見えて。
術師は、「ああ、そういえばシノビってこれくらいの距離は飛び降りることができるって言うよな」と、
もう本当に泣きたくなって来たのでした。
苦し紛れに、鍵のかかった入り口に視線を送ると、
知人二人がいつの間にやら残していった、置き土産。
フリルのついた赤い傘と、
パッケージに「蜘蛛の糸」と書かれた、細さが自慢の裁縫用の糸巻き。
とりあえず、太くなるまで編んでみるか?
そんな悠長な考えを、部屋に近づいてくる足音が聞こえると同時に投げ捨て。
学生時代に冗談半分で編み出した、光でロープを作る魔術の発動だけを頼りに、
術師は、光射す外へと向かって、牢の地面を蹴とばした。
看守が鍵を開けるとそこには、
フリルのついた赤い傘と、
商品名「蜘蛛の糸」の糸巻き。
そんなごみと大穴だけを残した、いつもの牢屋だけがありました。