緑の瞳と緑の髪を併せ持ち、輪廻という木より生まれ僅か一月の生を生きる。
人と同じ姿で、しかし言葉を持たない穏やかな種族。
ある国では精霊と呼ばれて崇められ、
ある国では魔物と呼ばれて恐れられ、
またある国では兵器として使われた。
穏やかで心優しい彼ら種族が恐れられ、破壊の道具と扱われた理由は、彼らの体質にあった。
彼らの意思とは関係なく、彼らの周りには常に傷つけるための何かが取り巻いていた。
彼らを中心に風が起こり、その風がカマイタチのようなものを生んでいるのではないかと言われている。
詳しいことは彼ら自信にも分かってはいなかった。
その破壊は数メートルにも渡り、近くにあるすべてのものを切り裂いた。
その体質故に彼らは古くから風の精霊と呼ばれていた。
しかし、近年ある国では彼らを戦争の兵器として使い始めた。
その国では物言わぬ彼ら種族を『人形』と呼び、道具として扱った。
輪廻の木の周りに施設を作り、建物で木を覆った。
生まれてくる全ての『人形』たちを、施設の中の切り裂かれない頑丈な箱のなかに閉じ込め管理した。
そんな施設の冷たい箱の中、生まれたばかりのひとりの『人形』が蹲っていた。
彼女はずっと外に憧れていた。
もしも喉を震わせ声を出すことができたなら、力の限り「自由をよこせ」と叫びたかった。
しかし彼女はこの箱が開くときが怖かった。
箱が開くときは、ひとを傷つけるために使われるときだ。
逃げ出さないようにと、生まれたときより立つことも歩くことも知らない体のまま、
浮遊装置に乗せられ、敵陣へ兵器として送られるときだ。
だから彼女はずっと箱が開くときを恐れ、それでも光に憧れていた。
ある冬の日の昼のこと。
がたごとがたごと音がする。
それにあわせて地面が揺れる。
あるとき突然、彼女の住む箱が動き始めた。
箱は荷馬車に乗せられ運ばれているようだった。
聞こえてくるのは車輪の音と、荷である箱が揺れる音。
彼女にとってはどれもはじめて聞く音だったが、不思議と自然にそれが何であるのかは分かった。
そしていつも彼女たちを管理している施設にいるひとの声も聞こえていた。
内容は聞かずとも分かった。戦の話だ。
ついに使われるときが来てしまった。
そのまましばらく箱は揺られた。
聞こえてくるのは荷を運ぶ二人のひとの雑談と、がたごと揺れる馬車の音。
あるとき聞こえるその声が、話し声から怒声に変わった。
何度か繰り返し響く二人の施設のひとの怒声。
箱の中の『人形』は思った。きっと戦場についてしまったのだと。
しばらく続いた争う声は、ふいに途切れた。
施設のひとたちの声は聞こえなくなった。
かわりに何か物音が馬車の中へと近づいてくるのを箱の中の彼女は感じた。
近づいてくる足音は箱の前で止まった。
そして、彼女が身を硬くして蹲っていた暗く冷たい箱の奥に突然、光が射した。
『人形』は初めて見る日の光の眩しさに目を細めた。
徐々に慣れた視界を開くと、箱の前にひとりのひとが屈んでいるのが見えた。
生まれてすぐに一度だけ見たことがある施設の制服と帽子とゴーグルを身に着けたひとだった。
けれども彼女の見たことのない、穏やかな風をまとったひとだった。
ひとと『人形』の間を遮る箱の壁のひとつは取り外され、
彼女の放つ傷つけるための何かは、ひとの元へ届いているはずだった。
しかし、目の前のひとは気にした様子も傷を負っている様子もなく平然としていた。
それどころかひとはさらに彼女に近寄り、箱の上の壁も取り外しだした。
『人形』が呆然と見守るなか上の壁はあっさりと取り去られる。
瞬間、彼女の生み出す力で布でできた荷馬車の覆いを切り裂いた。
『人形』は、初めての破壊にびくりと身を竦ませた。
そして、それをも気にせず自分に手を差し伸べてきた無謀なひとを案じた。
本当は傷つけたくなんてない。
それなのに、これ以上近づけばこのひともあの布のように切り裂かれてしまうだろう。
『人形』は怯えた表情で箱の一番奥へと逃げ、首を振って”こないでくれ”と訴えた。
それを見たひとは相変わらず手を差し伸べたまま、困ったように笑ったようだった。
そして、なんの躊躇いもなく彼女に近づいて、彼女の目の前で跪き丁寧に礼をとる。
頭を垂れると見せかけて、視線の先は片手にもった台本に。
そしてこうのたまった。
「『はじめまして麗しい風の精霊さま』?ああなんだこの台本面倒くさいな。
えーっと、俺は人攫いのものですが、命が惜しかったら抵抗せずに攫われていただけませんかってことなんですけど」
『人形』は呆気にとられた。
今彼女が身を案じていた相手から、まさか「命が惜しければ」などと安っぽい脅しをされるなんて思っていなかったからだ。
大体、傷つける力を生み出す存在の彼女に向かってこの脅しはあまりに無駄だ。
驚いたような呆れたような目でただ見つめてくる『人形』に、自称人攫いは小さく笑って言った。
「というか俺の私利とか私欲とかが、かなり深刻に関わってるから、悪いけど勝手に攫わせてもらうわ」
ゴーグルの奥に見える表情は相変わらずの困ったような笑みのまま、人攫いは箱の奥で蹲る彼女に手を伸ばし、彼女を抱き上げた。
人攫いの手が触れ抱き上げられる瞬間、彼女が思わず見上げた先の天井の布の覆いは、もはや原型も分からない程に切り刻まれていた。
『人形』は抱き上げられた直後は、身を硬くしてきつく目を瞑っていた。
脳裏に浮かぶのは切り裂かれた布の覆い。
今自分に触れているひともすぐにあのように切り裂かれるのかと思うと、恐ろしかった。
しかし、しばらくして『人形』は揺れに気づいた。
人攫いは自分を抱えたまま歩いているらしい。
そして彼女は自分を抱えるひとの周りに穏やかな風が流れていることに気がついた。
「そんなに怯えなくても、とって食うほど食うに困ってはねえよ。
……いや、そういえば今日は朝から何も食ってないが……
まぁとにかく、危害を加えるつもりもない。俺は攫って運ぶだけ」
相変わらずの能天気な声も聞こえてきた。
彼女は恐る恐る目を開いた。
見えたのは施設の制服。
その服には既に無数の切れ目が入っていた。
泣きそうな表情で服の切れ目を見ていた彼女に気づいたのか、人攫いは笑いながら言った。
「この制服、さっき馬車にいたヤツから剥がしてきたんだけど…あ、手荒なことはしてないぞ。睡眠薬嗅がせただけで。
どうもこの服とかゴーグルとかが特殊な作りらしくて、着てれば多少身を守れるらしい。
あとは…ああ、俺は魔術師みたいなもんなんだけど、
さっき立ち読みした魔術書の風の結界ってやつをうろ覚えで試してるから…たぶん大丈夫じゃないかなーと思う。
……まさか心配してもらえるとは思ってなかったけど」
明るい声でこの上なく不安と不審ばかり募ることをいってきた。
人攫いの顔を未だ不安そうに見上げた『人形』に、人攫いは安心させるように微笑んだ。
その頬が浅く裂け、少しだけ血が滲みだした。
それからしばらく揺れは続いた。
人攫いは『人形』を抱えたまま歩き続けている。
服の裂け目は増えていた。
「あーそういや行き先を言ってなかったな。
宛先は隣の国…戦争やってないほうの隣国な。そこに生えてる輪廻の木までだ。
配達期限は今日中だ。ちなみに本当悪いなーとは思ってるけど勝手に配達させてもらうから」
『人形』は驚いて人攫いを見た。
この人攫いは彼女を仲間の元へ届けると言っているのだ。
「残念ながら勝手にやってるだけだからな。慈善活動とかでもない。
私利と私欲とコレのためさ」
”実はいいひとなのか”と思った彼女の考えを読んだかのように人攫いが言った。
そして人攫いは一枚の紙切れを取り出した。
『人形』にはそれが何であるのかは分からなかったが、ずっと手に握っていたらしいその紙切れは、
ところどころ折り目と血で汚れていた。
人攫いもその惨状に気づいたのかあわてて紙切れを仕舞い込んだ。
「うわこれ使えるのか…?」などと不安げな声でぼやく人攫い。
それを見ながら、紙切れについた血に『人形』はいっそう不安になった。
さらにそれから数刻ほど、大事に大事に『人形』を抱え人攫いは歩き続けた。
空は既に薄暗く、時は夕刻に迫っていた。
『人形』はずっと人攫いを見ていた。
目が合うたびに、物言わぬ彼女に人攫いはいろいろ言葉をかけたり話をしたりしていた。
その度に人攫いは彼女に微笑みかけていたが、
移動中、何度も小さく痛みに呻いていたのも彼女は見ていた。
「はー……なんとかついたな」
そしてついに一本の大樹の前で立ち止まった。
『人形』は自分たち種族の住処である懐かしい大樹に見入っていた。
自分の生まれた場所とは違っていても、このまま戦場で消えるはずだった彼女にはこの木に戻れたことが嬉しくてたまらなかった。
大樹に見入る彼女の頬に水滴の落ちたような感触がした。
「あっ、悪いな不気味なクリスマスカラーにしちまって…」
何かと思う前に慌てたように人攫いの手で拭われた。
拭った手には薄く赤い色がついていた。
そして人攫いは彼女を輪廻の木の根元に下ろした。
「よし、届け物完了だ。
そこにいればすぐに仲間が来ると思うから。
まぁ、強く生きろよ」
そういって笑った人攫いを改めてみると、服はもはや裂けてぼろぼろで、切れた頬から流れた血がつたい落ちていた。
それを見て『人形』は気がついたら泣いていた。
ぼろぼろ涙を流す彼女を人攫いは困ったように見ていたが、ふいにその涙が拭われた。
彼女が驚いて横を見ると、たくさんの彼女の仲間たちが並んでいた。
「うわー群れるな俺が痛いから…
と、とにかく仲間にも会えたしよかったなっ! じゃあ俺はこれでっ!」
そんな人攫いの慌てた声が聞こえてきて、振り向くと既にその姿は遠くにあった。
そしてそのまま去っていった。
彼女はずっとその姿を見ていた。
もしも喉を震わせ声を出すことができたなら、力の限り「ありがとう」と叫びたかった。
彼女は涙を流しながら、ずっとずっと出せない声で”ありがとう”と言い続けた。
しばらく見送る道の先から「いてえっ」だの「あー風呂入ったら泣くかも俺」だのぼやく声が聞こえてきていた。
* * *
ある冬の日の朝のこと。
とある占い師の元へ知人の術師が訪ねてきた。
長い付き合いの知人兼友人に占い師は笑顔で言った。
「賭博に金つぎ込んで3連敗で所持金尽きた?
知るかそんな堕落人生」
笑顔のまま一言で切り捨てた。
「うう……お前占いできるんだったらどれが当たるだとか分かんねえのかよ」
「そこまでやってまだ賭博で取り戻そうと考えるあたり、もうだめだなお前……
でも、そうだな…どれが当たりだ、とかまでは分からんが、どうやったら当たるかは占える」
「……俺、どうしたらいいんだ?」
聞かれて占い師はしばし目を閉じた。
特別何かするわけではないがこれが彼の占いらしい。
「まず、朝一でいつもの賭博場の『一日耐久ハトレース』の鳩券を買う……あ、どれでもいいからな。
で、その後ここの隣国の施設で人助けをする。
具体的に言うと兵器として使われそうな『人形』って呼ばれてる種族が荷馬車で戦地に運ばれてるところを、強奪する。
あ、方法は穏便にここにある睡眠薬かがせるようにな。
で運んでるヤツらの服剥ぎ取って、それ着て、後は適当にこっちの国の輪廻の木まで運ぶだけだ。
まぁお前日ごろ無茶苦茶やってる分、いいことやって償えば運気も上がるってことか」
「具体的だな……てかなんで普通に懐から出てくるんだよ睡眠薬……
てか、それで償いになるってどれだけ業が深いんだよ俺は……」
そんな微笑ましい会話があって術師は本日限り『人攫い』となった。
そして、それから半日が過ぎた。
今は空は薄暗く、時は既に夕刻となった。
人攫いの仕事を終え、逃げるように輪廻の木の元を去る術師の元へ風の声が届いた。
よく冬に聞こえる風の音は女性の泣く声に似ていると言われるが、
何故か今日はその風の声が「ありがとう」と言っているように聞こえた。