剣士視点



それは本当に突然だった。
しかし、衝動などどいう軽い言葉で済ませてもらいたくはないものだった。
お告げと言ってもよいほどだ。
残念なことに、以前『世界神様大全』を見たときすら、崇拝したいと思える神を見つけられなかった私には縁遠い言葉ではあるが。

入り口の門を潜ると、目の前に広がる大きな町。
そして私の手には数枚の紙と筆。
材料は揃っていた。



私は一応、剣士という職を営んではいる。
しかし、宿帳に記名をしていて、ふとこのまま物書きになってみたいと思うことや、
宿の朝食のオムレツにケチャップをかけているときに、画家を目指したくなってみたりするものである。

戦うものとして、血なまぐさい世界に生きているからこそ、
時に、芸術の世界に憧れてみたりするものなのだ。

そして今日も、ふと私の溢れ出る芸術心がうずき出した。
今日、この町で出会うものたちへの、今しか感じられない私の感情をどうしても残してみたいと思ったのだ。
しかし、残念ながら私は日記などつけない。
写真を撮ったり持ち歩くのも趣味ではない。
考えてみると、困ったことに私はその作品を持ち歩くことが出来ない、ということに気がついた。

では、仕方が無いから町に残していってはどうだろうか。
そうすれば、またここを訪れたときにいつでも見ることが出来る。
あら、とってもお得。

かくして、私は紙と筆を手に、新しい町へと踏み入った。




新しい町入国の記念すべき第一歩目。
それを踏み出す寸前で、私は足を止めた。
入国手続きの順番待ちをしている後ろの方が、眉間に皺を寄せているがそれどころではない。

今日一日、己の感情を芸術的に残す作業に捧げると決めたからには、私は剣士ではない。
では、私はなんと名乗ればいいのだろう。

そう考え出したら入国どころではなくなってしまった。
『画家』 『作家』 『作曲家』などというような職業があったような気がする。

しかし、私が残したいのは名前なのだ。
目に付いたものに片っ端から感動と芸術心あふれ出る名前をつけてまわりたい気持ちでいっぱいだ。
では、名前をつける人は『名家』となるのだろうか。
なんだか、そこはかとなく素敵な響きである。

私の名家としての命名作品第一号は、記念として自身に贈ることとなった。
『名家・トッチャンボーヤ』
そう書かれた名札を胸に、私は再び入国第一歩目を踏み出したのだった。




このうす雲にけぶる頂上を淡さを、どのような言葉で表せばよいだろうか。
町の中央の広場に立つ、偉人像の後退した毛髪の頭部を凝視しながら、私は真剣に考えていた。

町の入り口から、門を抜け、噴水のある広場を通った。
宮殿へと続くゆるい上り坂の、左右に商店が立ち並ぶ大通りも通った。
たまに寄り道して裏道や酒場などの地区も通ってきた。
その途中に、数々の作品を惜しみなく生み出してきた私だった。

もちろん、当初の予定通り、しっかりとその場に残してきてある。仕事は完璧だった。

しかし、ここへきて『名家』はじまって以来の難関に突き当たった。
なかなか納得のいく表現が思い浮かばず、先ほどからここで偉人像を睨みながら悩んでいるのだ。


そのとき、公園でひたすら佇む私に、背後から声がかけられた。
あの、すみません。
振り向くと、ひとりの女性が立っていた。
見るからに貴族という感じの、見目麗しい女性は私の胸元に視線を落とし、続けた。
どこの名家のお方かは存じませんが、高貴な方とお見受けしました。
『めいけ』ではなく『めいか』なのだが、面倒なので突っ込まなかった。
わたくし、ある貴族のものなのですが、どうしても同じような身分の方に相談がしたかったのです。
聞いてはいただけませんか。女性は言った。
そういえば、この国の王女に似ているな。
そんなことを頭の片隅で考えながら、はぁどうぞ。と生返事を返しておいた。
正直、命家としての使命に没頭していたので、相打ちすら面倒だったのだ。

わたくし、身分を忍んでよく町に遊びにきておりました。
その町でわたくしはひとりの男性と出会い。恋をしてしまいましたの。
それからなんども、町へ行っては彼と会っているのですが…
実はわたくし、まだ彼に名前すら名乗れていません。
しかし、彼とはきっと身分が違いすぎる…
知られてしまったら、もう会っていただけなくなってはしまわないかと、不安で…
貴方ならどうします。このまま名前も名乗らず会い続けるか、名乗ってしまうか。

よくある話だなー。
などど思いながら適当に聞き流していた。
だが、彼女はこちらの答えを待っているようだったので、面倒だった私は、『名家』として答えることにした。

それでは、いっそ偽名で会ってみてはいかがか、と。




数分後、再びひとりになれた私は偉人像と向き合う作業に戻っていた。

そのとき、公園でひたすら佇む私に、背後から声がかけられた。
あの、すみません。
振り向くと、ひとりの男性が立っていた。
見るからに貴族という感じの、優しげで穏やかそうな男性は私の胸元に視線を落とし、続けた。
どこの名家のお方かは存じませんが、高貴な方とお見受けしました。
やはり『めいか』は一般的ではないのか、少し不満に思ったが、やはり面倒なので突っ込まなかった。
僕は、ある貴族のものなのですが、どうしても同じような身分の方に相談がしたかったのです。
聞いてはいただけませんか。男性は言った。
そういえば、隣の国の王子に似ているな。
そんなことを頭の片隅で考えながら、はぁどうぞ。と生返事を返しておいた。
やっと集中して名称を練れていたのだ、相打ちすら面倒だった。

僕は、身分を忍んでよくこの町にきておりました。
その町で僕はひとりの女性と出会い。恋をしてしまいまったのです。
それからなんども、町へ行っては彼女と会っているのですが…
実は、まだ彼女に名前すら名乗れていないのです。
きっと身分が違いすぎるから…
知られてしまったら、もう会ってもらえなくなってはしまわないかと、不安で…
貴方ならどうします。このまま名前も名乗らず会い続けるか、名乗ってしまうか。

どこかで聞いたことのあるような話だなー。
などど思いながら適当に聞き流していた。
だが、彼はこちらの答えを待っているようだったので、面倒だった私は、『名家』として答えることにした。

それでは、いっそ偽名で会ってみてはいかがか、と。





数日後、数々の『名家』としての功績への反響により、
役所でお説教を賜っていた私のもとへ一通の手紙が届いた。



名家・トッチャンボーヤさまへ

               ノリベン&マクノウチ



え、なにこの嫌がらせ。
一瞬そう思ってから、私が『名家』として、ある女性とある男性に贈った名前だったことを思い出した。



先日は大変お世話になりました。
わたくし、貴方にいただいたお名前で彼と会い、名乗りました。
そして、彼もわたくしにお名前を教えてくださいました。

わたくしのものも、彼のものも、
とてもとても、変なお名前でした。
でも、やっと聞けた相手のお名前ですもの、わたくしたちずっと呼び合いましたわ。

けれどだんだん恥ずかしくなってきて。
あれだけ思い切りがつかなかったのに、つい、本当のことを話してしまいましたの。
わたくしと彼と、同時にでしたわ。

そして、お互い貴方と会って、同じことをしていたと気づきましたの。
これは運命だって、思いました。
わたくしの国と彼の国は今は仲が悪く、決してお付き合いできるような関係ではなかったけれど、
わたくしたち、精一杯王を説得いたしましたの。
その思いが伝わったのか、なんとか彼とお付き合いできるようになりました。

すべては貴方のおかげだと思っています。
この出会いを忘れないために、今もわたくしは彼の前ではマクノウチなのですよ。

素敵な名家のお方、本当にありがとうございました。



手紙にはそう書かれていた。


町に張られた私の作品は全て撤去されてしまったが、
どうやらこの作品だけは無くなることはなさそうだった。


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