来訪者

悪い夢だった。


深夜にうなされて目を覚まし、一杯の水とともに全てを流してしまえたらと切に願う。
入国管理官の男、43歳。
彼は20年ほど前から勤めているが遅刻も欠勤もした事がないという真面目な男だ。
あれから毎晩同じ夢を見る。もう、うんざりだ。
考えるに一番凶悪なものに出会ってしまった…あの時を鮮明に思い出してしまうのだ。



「これは何かね?」
「呪文を唱える際に使われる魔道書でございます」
少し大きめの羽織に必要以上の防具を身につけていながら自らを術師と名乗る男は、
落ち着きのある笑顔で平然と語った。
知り合いに性質の悪い呪いをかけられた男がいて、一刻も早く助けたいので急いでいると涙ながらに訴えていた。
彼が目薬を片手に隠し持っていた故に、説得力はかけらもなかったが…
彼が魔道書だという代物は全長1Mもあって、軟弱そうな彼には少々重そうだ。
分厚い紙を谷折り山折り重ね、片方を手に持ちやすいように紐で結わえてある。
立派な扇型だ。
確かにまがまがしい怨念じみた言葉がつらつらと書かれてはいるが、呪いを解けるとは思えない。
折られた紙はかなり弾力があり、あれで思い切り叩けば並の男なら一発で潰せるだろう。
よく見ると戦いの軌跡が良くわかる。
「まぁ、いいだろう。この辺りは最近脱走した囚人探しで殺し屋がうろついていて物騒だから、
 君のような人間は武器の一つや二つ持っていた方が安全だろう。
 私が一番気になって、この国に入れるのを鈍らせている原因はこれだよ」
そう言って私は彼が持っている杖を指差した。
「いくら術師といっても杖は二つもいらない。しかも君の格好にそぐわない杖は、
 隣国で指名手配されている逃亡犯がいつも持っていた杖にそっくりなのだよ。
 署までご同行願えるかな?」
術師と名乗る男は軽く舌打ちをしたが、数十名ほど応援を呼ぶと大人しくついてきたので安心して歩き出した。
しばらく歩くと足音が少なくなっている事に気づいた。

あれから数日たって、私は病室で目を覚ます事になる。
杖が仕込み刀だと気づかなかったのはあまりにも迂闊だった。
私が振り返った瞬間、彼は清らかな笑顔でゆっくりと鞘を収めていた。術師なんて絶対に嘘だ。
なんとか国内に入れるのだけは免れたが、取り逃がしてしまった為に奴はまた現れるだろう。
それにしても術師と逃亡犯は何処に繋がりがあるのか…?
人相が似ていたので兄弟かなにかか…? 気になる。
幸い傷は浅い。もうすぐ仕事に復帰できるであろう。



「これは何かね?」
「一人旅には寂しいと思いまして、自慢のペットを連れております」
自らを剣士と名乗る男は丁寧に答えた。
少し小柄な体格にはそぐわない大きすぎる剣と、かなりゴツゴツとした荷物を軽々と担いでいる。
知り合いに性質の悪い盗賊に捕まった男がいて、一刻も早く助けたいので急いでいるらしい。
やはり片手に目薬を忍ばせていたが、私がずっと見ていたせいか、一度も使わなかった。
彼のペットは決して逃げられる事のないよう頑丈な檻に入れられていた。
素人目から見ても毛並みの良い希少種だとわかる。
記憶をたどれば確か、近年絶滅危惧種に認定されて捕獲禁止になったやつだ。
私にはそれよりも気になるモノがあった。
前に逃がした術師に瓜二つの人相と、荷物からはみ出している真珠のネックレス…の、ような物。
よく見れば例の杖に巻きつけて誤魔化そうとしてやがる。
ボムだ。あれ、絶対にボム!
私の仲間達が病院の中で「真珠がぁ…!!」とうなされていたアレだ。
逃亡犯が逃げる際に使った真珠型ボム、威力は一粒300mとかなんとかだったはずだ。
仇を討つなら、今だ…!!
「私の記憶が確かなら、君のペットは国で保護されるべき動物のはずだ。
 寂しいだろうから君も一緒に来てもらおう」
できるだけ穏やかな笑顔でそう言うと、部下にさり気なく合図する。
数百人の警察に囲まれながら彼を連行する途中、それまでの会話を思い出していた。
自然に言えた気がして思わずガッツポーズをしてしまった。
こんな恥ずかしい所を部下に見られては示しがつかない…。誰も見てなっ…!!
バッチリ剣士と目が合ってしまった…彼は半笑いでこっちを見ている。くそっ!
フンッ!今のうちに充分笑っておくと良い。
お前の運命も此処で終わりなのだから…。


杖も真珠もペット扱いの猛獣も、全て取り上げていれば良かった。
全てをぶちまけるなんて狂ってる。
事が終われば、何事もなかったかのように全て持ち去ってしまった。
今はもう、行方さえ知らない。

以前と同じ病室で暖かい日差しに目を細め、彼を思う。
看護士の男がせっせと昼食の用意をしてくれているのに、申し訳ないが食欲がない。
手をつけずにいると、何を思ったのか「少し待っていてください」と言うとどこかへ行ってしまった。
大きな荷物を持って帰ってくると、その中から小さなリングを取り出し、私の指にはめてくれた。
「あなたにお見舞いです。真珠のリングなんですよ、小粒ですが…。あなたにピッタリだ」
「私のような奴に真珠は似合わないよ」
何気ない会話を交わしながら思う。最近見ない顔だ。
おかしなものだ。そんな事を考えていると看護士の男がなんだか彼に見えてくる。
そう、落ち着きのある笑顔で妙に言葉づかいが丁寧で…
大きな荷物の中には異国の刀を仕込んだ杖に、似合わない真珠の…
「お前はぁぁ!!」
叫んだ途端、数日前に斬られた腹に激痛が走る。
彼は微笑みながらどこからか取り出した傘を差し、5階の窓から優雅に空を飛んだ。
「お大事に。腹はまだしっかりと塞がっていないようですから」
そんな心にもない科白を…!!
こんなリングで私にとどめをさして逃げようってところだろうが…あのクソガキがぁ!
傷は浅くないといえど、ここで逃がすわけにはいかない。
血が滲んで痛む腹を押さえながら、必死にリングを投げた。

彼は逃げもせず、しっかりとキャッチしてポケットに仕舞うと大きな声で手を振る。



「戻ってきてよかった。本物なんです」


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