故郷

思い出して。



暗闇の中、導くように少女の声が促した。


それは、あまりに小さく頼りないものだったが、

俺はその声に従って、自然と頭に浮かぶ景色に意識を集中させた。


思い出すのは、今は懐かしい故郷の思い出。





「朝起きたらベットの中で冷たくなっていると言う、性質の悪い冗談はやめないか」


目が覚めると、どこかの宿屋の一室だった。

そして、俺がいるベットの傍らにいた剣士が、
こちらの身を乗り出した体制で先ほどのセリフをのたまった。

『油性』と書かれたペンを手を片手に。

俺はそのペンを奪い取り、力いっぱい投げ捨ててから言った。

「冗談どうこうの前に、自発的に出来る範囲かそれは」

俺の枕元には、ページの途中で開かれた辞書が置かれていた。
ページから察するに、『遺書』の『遺』を調べていたようだった。

「もう少し蘇生が遅かったら、見なかったことにして置いて逃げるところでしたよ」

と、もう一方――丁度さっきの剣士と向かい合う方向のベット横の椅子に掛け、
『卒塔婆』と書かれたツマミの鮭トバを投げ捨てながら、僧侶がのたまった。

トバしかあってねぇよ。と愚痴り、無駄だとは思うが言葉を返す。

「職務放棄も甚だしいな。つか、危うく遺棄されるとこだったのか俺」

「失礼ですねぇ。職務放棄ではないでしょう?こちらもボランティアではないのですから。
 払うもの払っていただいていない方に捧げる祈りもありませんよ。
 ほら、仏の顔も金次第、と言いますし」

「ねえよそんな都合のいい言葉。そっちが金の力に負けちゃまずいだろ。
 故意に間違ってんだろアンタ…」

あはは、なんのことですかー?とか爽やかに微笑んでからヤツは続けた。

「それで、何故早朝から仮死状態など満喫されていたのですか?」

「なんかそれ、俺がものすっごい楽しんでたみたいに聞こえて嫌だ」

そこで、俺は奇妙な事に気がついた。

「つか大体俺、ここがどこだかとか、記憶がやけに曖昧なんだが」

俺の疑問に対して、ようやく部屋の隅から油性ペンを拾ってきたらしい剣士が答えた。

「覚えてないのか。
 昨夜、私はこの下の酒場で、とても珍しいたまに毒のあるらしい魚を使った料理を見つけた。
 お前には一言の相談もなしに勝手に注文して、何気なくお前に食わせた。
 しばらくすると何が原因かお前がぐったりして動かなくなったので…
 そんな目で睨むな。きっと酔いが回っただけだ。たぶん。
 隣のテーブルにいた、格闘技を嗜むナイスミドルな方々に、穏便に起こしていただくことにした。
 なんだか、とても嬉しそうにいろいろな技を試していたようだが、それでもお前は目を覚まさない。
 仕方がないので、部屋に運んでベットに捨てておいた訳だが」

俺は「そうか」と相槌を打ち、枕元の辞書を手に体を起こし、
分厚い辞書を力の限り剣士に振り下ろして撃沈させてから言った。

「もうそれ、『仮』死なのが不思議な状態じゃねえか」

「ええ。ですから何故かなーと」

「とりあえず、アンタも一発殴っていいか…?」




そんな、いつも通りの、無駄な語彙と時間の浪費をしている内に、
蘇生直後でぼんやりしていた意識が戻ってきたのか。
ふと、俺は夢の中で、ずっとある景色を見ていたことを思い出した。


「なんか、俺の地元の風景を、思い出してた気がする」


「地元の風景、ですか?」

「いや、うっすら思い出してきたんだが。
 眠っている間、昔の思い出だとかばかり、何故か思い出していたなーと」


夢の中俺は、今は懐かしい景色を、何故だかとても鮮明に思い出していた。


「路線馬車が走る大通り」

道の両脇には、いつも露天が並び、田舎ながら活気があった気がする。

「その通りで歌う吟遊詩人」

町の人たちの談笑の声の背景に、流れる竪琴の音。

「そして、違法駐車の馬車と共に撤去されていく吟遊詩人」

「撤去か」

「人権ないんですか、貴方の地元の吟遊詩人は」

いつの間にか復活していた剣士からも、何故だかツッコミが入る。

「ん?普通じゃないのか?
 まぁ、撤去というか検挙というか…
 適応されるらしいんだ、騒音被害とか、違法駐者」

「…やたら、のびのびと自生されていらっしゃいますね、その国の法規は」

「自慢じゃねえが、うちの国は法律の生産量は、ちょっとすごいぜ。
 何かと理由つけては、臨機応変に増えるから…
 俺も昔、急ぎの用事あって地元の大通り走ってたときに、
 速度違反で警官に捕まった苦い思い出がある。
 騎馬とか路線馬車とかなら分かるが、
 徒歩の法定速度ってどれくれーだよって、散々愚痴ったな、あの時は」

「咎められるべきは警官の横暴だったのか、お前の常識無視の走行速度だったのか。
 現場を目撃できなかった私には判断できないのが残念だ」

「素直に同情すらしてくれねぇのかよ。
 そんな寛大な判断の余地残っちまうほうが、納得いかねえよ」

警察権力の暴走について語りだしたらきりがなさそうだったので、
俺は話を、夢で見た景色に戻した。
まぁ、この苦い思い出も、先ほどの夢で見た景色のひとつだったが。
つい最近まで、すっかり忘れていたというのに。

「あと、毎年夏の暑い日に近所の騎士団がやってた、
 『夏の日差しで熱くなった剣の上でどれだけ上手く目玉焼きが焼けるか選手権』の風景」

「他の追随を許さない確立された個性をお持ちですよね。貴方の故郷って」


「しかし、そうも個性的な出来事ばかりでは、ふと思い出すことも、珍しい話ではないだろう」

「そうでもねぇんだがな…
 …………
 つうか、これって走馬灯ってヤツじゃねえか?
 うっかり、誰かさんに、殺害されかけてた間の、経験だしなっ」

「何故こちらを睨む。何故妙に文節ごとに力を込める」

俺は迷うことなく、足元に転がっていた『卒塔婆』と書かれた鮭トバを手に取った。


「走馬灯に思い出させてもらえっ!」



「術師殿。うっかり殺害しかけないでくださいよ」

「眉間に鮭トバ刺さった程度でくたばる程、人間はもろくはねえよ」

「前例がないので、ちょっと分かりませんけれどねぇ」







ある日、見知らぬ少女がひざを抱えて、泣いていた。


声をかけると、少女は何故だか俺に助けを求めてきた。

どうしても、うまくできないと。

貴方なら、きっと知っているから、教えて欲しいと。

ひざを抱え、俯いたまま、途切れ途切れに。
しかし、必死にそう訴えかけてきた。

俺は、少女が何ができないと言っているのか、さっぱり分からなかったので、
とりあえず、分かることを答えてみた。


「ひとりで頑張ってみて、無理だったのなら、
 誰かと一緒にやってみれば、いいんじゃねえか?」

「一緒…?」

「いや、何をやるのかよく分からねぇんだが、
 誰かに手伝ってもらえば、いいんじゃないのか?
 俺でよければ、丁度暇みたいだし」

そこは何処だったのだろう。
見知らぬ湖畔に、少女と二人。
どうにも俺は、泣いている少女を放っておけないくらいには、暇らしかった。

顔を上げてはくれたが、相変わらずひざを抱えたままの少女にあわせ、
俺も同じ格好で隣に腰を下ろし、問いかけた。

「で、なにをするんだ?」

「……思い出して、もらうの。
 昔のこと…今までの思い出…とか……懐かしい風景…」

枯れた声、嗚咽まじりで、少女は答えた。

「俺が、それを思い出せばいいんだな?」

俺がそう聞くと、少女は俯いて首を振った。

「……それじゃ、駄目なの…
 皆、何も言わなくてもできるの。
 相手の人に、何も言わなくても、思い出させることができなきゃ、だめなの……」

それは難題だ。と俺は思った。
少なくとも俺に、そんな方法は思いつかなかった。

「……残念だが、俺は期待されてるように、教えることはできそうにない。
 なんか、焦ってるみたいだが、とりあえずイメージトレーニングか何かだと思って、
 声に出して、一緒にやってみたらどうだ?」

俺にはそれしかできそうにないと謝ると、少女は慌てて首を振って、
それから、少しためらって、ちいさく頷いた。


そして、目を閉じて、俺は聞こえてくる少女の声に従った。



……思い出して……


思い出して……故郷の景色。

小さい頃、何度も見た、町並みと、空の色……


その声に導かれ、遠い昔に仕舞いこんだ風景が、再び目の前に鮮やかに広がった。







そして、目が覚めると、どこかの宿屋の一室だった。


やっと思い出した。これが俺の臨死体験中の出来事だった。


鮭トバを突き刺した物体には、日ごろの行いから別に悪いことをしたとも思わないが、

どうやら俺のプチ臨死体験の原因は、
ヤツの食わせた妙な魚のせいではなく、
ついその場のノリで、走馬灯の練習に付き合ってしまったことだったようだった。

そんな練習をしていた彼女が何だったのかは、結局分からない。


しかし、練習のためにうっかり仮死状態になどされたりしたが、
おそらくまったく悪気はなかったのだろうその少女を、恨む気持ちはしなかった。

自慢したくもないが、俺は茶柱をみることよりは、走馬灯を見ることのほうが慣れている。

それはもう、経験豊富とみなされても、仕方がなかったのかもしれない。

と、なんだか納得してしまう自分が、妙に悲しかったりはしたのだが。



忘れたはずのこの記憶が、たくさんの思い出に紛れ、こうしてふと、蘇る事がある。

そんなとき、決まって俺は、隣でひざを抱えていた、あのちいさな少女を思い出していた。

もう、思い出してと導く声は聞こえなかったが、
きっとこれは、上達した彼女の見せる思い出なのだろうと、何故だかおかしく感じていた。

全くもって、毎回毎回、律儀なことで。

うっかり意識を飛ばす度に、ご丁寧に走馬灯を届けてくれる何かに、いっそ感心などしつつ。

それほどまでに度々、そんな目にあう自分に、いっそ感心などしつつ……

俺はまた、少女の律儀な取り越し苦労であることを祈りながら、

思い出の中、徐々に辺りを照らし出した光を感じながら、目を開けるのだった。


[ 小話メニューへ戻る] [ トップページへ戻る]