搭の魔物は空腹だった。
ここ数十年、彼はずっと満たされることは無かった。

魔物は万能だった。
その搭の中には何も無かったが、彼が欲すれば何でも生み出すことができた。
しかし、彼は自らの為に何も生み出すことはなかった。
どんなものも彼を満足させ得無かったからだ。

彼を唯一満たすことができるもの。
それは、人の持つきれいな夢だった。
純粋な願望だけが、彼の空腹を癒すことができた。

日の光を嫌う魔物は、夜中に近くの町へ入った。
大きな角をもつ彼は人々に恐れられるからだ。
夜の闇で身を隠し、町を巡りきれいな夢を探した。
そして、見つけた獲物のきれいな夢を食す。
その代償に、獲物のその夢をそっと叶えて。

長い間、魔物はそうして暮らしてきた。

数十年前から町は大きく大きくなり、
人はどんどん増えた。
しかし、きれいな夢は減っていった。

いつしか魔物は狩りをやめた。
満たされないまま、搭に篭る日々を過ごしていた。



そしてここ最近。
搭の魔物は食あたり気味だった。

人との接触を絶ち搭に篭っている魔物だが、それでもごく稀に人と会うことがあった。
魔物の住む搭は、町からすこし離れた大きな遺跡、朽ち果てた古代の町の中心にあった。
魔物の住む搭も瓦礫に埋もれた遺跡の一つだった。

そしてこういう場所には、冒険者、という特殊な人間が稀に来るのだ。


数日前、ひとりの剣士が搭に来た。

今、無性に人の困る顔が見たい。
歩くだけでお金貯まるアイテム欲…

魔物はそれ以上見るのをやめた。
姿を消し、覗き見ていた魔物の脳内に流れ込んだ欲望。
それはある意味限りなく純粋に彼の願望だったが、
ストレートに変化球を決められた気分だった。
魔物は少し覗き見して見ただけにも関わらず、なんとなくひたすらにそれは消化に悪かった。


つい先日、ひとりの僧侶が搭に来た。

その僧侶は、古代の遺跡の搭へ伝説の魔物を探し来ていた。
僧侶は搭の一室の中、積まれた瓦礫の後ろで自分を観察している視線に気づき、
その魔物を言葉巧みに誘き出した。
そして彼はその魔物を捕獲することに成功した。
その後、捕獲した魔物は近隣の大きな町の貴族に高値で引き取らせた。
どんな願いでも叶えると言われているその魔物の角は、引き渡す前に取らせていただいた。

魔物は、思わず先が気になって全部見てしまった自分を悔やんだ。
こんな願望は初めてだった。
何より隠れている場所が当たっているのが恐ろしい。
魔物はなんだか毒気に当てられたような気分だった。
ちなみに身を潜める場所は変えておいた。


そして今日、ひとりの術師が搭に来た。

ここ数日の苦い思い出と食あたりのせいで、魔物は覗き見をやめていたのだが、
偶然、魔物の住む一室に迷い込んだその術師と出会ってしまったのだ。

パン一切れでいいから食いてー

満たされきった町の住人はもう持つことの無い、
それはここ数十年見ることができなかった、強烈に純粋な願望だった。

その術師は魔物と同じで、空腹だった。
突然出くわした異形に驚くことすら忘れているかのように、切実に一切れのパンを欲していた。

魔物は、数十年ぶりに感じる胸の高鳴りを抑えつつ、
やっとこちらに気づいたように気力なさそうに、こちらを伺う術師に、
パンを一個手渡した。
大昔の記憶をたどっても、眠っていた人の願いをそっと叶えていた魔物にとって、
これが初めて人に触れる経験だった。

食べろ。と手渡されたパンに、その術師は一瞬目を見開いたが、
やっとありつけた数日振りのまともな食べ物に、警戒することも忘れ噛り付いた。

それを見ながら、魔物は数十年ぶりに、心から満たされていくのを感じていた。
あんた変わった見た目してるけど神様ってやつなのか?
とにかくおかげで助かったよ。
と、変わったことを言われた。
神様という名前ではなかったが、魔物はなんだかとても嬉しかった。
そのまま、礼だけ言うと術師は去って行った。


その日から、魔物は空腹に悩むことは無くなった。
変わった術師の冒険者は、今も何故かこの地方に来るたびに、
結局なにも価値のあるものはなかった古代の遺跡の搭へ顔を出しに来るからだ。
その度に腹をすかせていたことは魔物は気にならなかった。
いつも、彼が望むとても素朴なものを用意し出迎えた。
望んでさえくれれば、どんなものでも手に入れられるのに。
何も無い朽ちた遺跡の一室で、二人以外誰も知ることの無い、
パン一切れの歓迎は毎年続けられた。


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