できればらこ作の010お題「夢」を読んでからをお薦めします。
序盤まではそちらの作品から引用。


聖域

搭の魔物は空腹だった。
ここ数十年、彼はずっと満たされることは無かった。

魔物は万能だった。
その搭の中には何も無かったが、彼が欲すれば何でも生み出すことができた。
しかし、彼は自らの為に何も生み出すことはなかった。
どんなものも彼を満足させ得無かったからだ。

彼を唯一満たすことができるもの。
それは、人の持つきれいな夢だった。
純粋な願望だけが、彼の空腹を癒すことができた。

日の光を嫌う魔物は、夜中に近くの町へ入った。
大きな角をもつ彼は人々に恐れられるからだ。
夜の闇で身を隠し、町を巡りきれいな夢を探した。
そして、見つけた獲物のきれいな夢を食す。
その代償に、獲物のその夢をそっと叶えて。

長い間、魔物はそうして暮らしてきた。

数十年前から町は大きく大きくなり、
人はどんどん増えた。
しかし、きれいな夢は減っていった。

いつしか魔物は狩りをやめた。
満たされないまま、搭に篭る日々を過ごしていた。





そしてさらに数年の歳月が流れ、小さな異変が起きた。

それは塔の入り口に打ち捨てられた小さな生き物だった。
人の形をしたその生き物を魔物は拾い上げる。

腕の中で泣きじゃくる赤子からは魔物の望む匂いがした。
それは生きたいという何より純粋な願望だった。
魔物は渇望していたその温もりを泣きそうに顔を歪めながら抱き寄せた。

赤子はすくすくと育ち、魔物はそれを慈しみ、望むものすべてを与えた。
何もないこの遺跡へ訪れる者は稀であり、そこは魔物と子の聖域となった。
赤子は育ち子供になったが、純粋な輝きは一向に変わることなかった。
ゆっくりと流れる時間の中、子供は成長し魔物に願う事が少しずつ減っていった。
それでも子供の綺麗な夢は変わることなく。ただ今は魔物の幸せを願っていた。その笑顔と、新緑を思わせる澄んだ言葉に、魔物は何時しか泣きだしそうな程の愛しさを覚えていた。
「大好きだよ」
子供はどれだけ成長し、魔物との視線の高さが近づいても魔物にそう言った。
魔物はその時初めてこの世界が絶えず続くよう祈った。
それは魔物にとって初めての自分の為の願望だった。
いつしか魔物は子供の夢を食べることすら止めてしまった。魔物は奪ってはならないもう一つの聖域をそこに見た。


そして数年、時間は魔物に与えたものをそれと同じだけの無慈悲で魔物から奪う。


偶然迷いこんだ行商人が雨宿りに訪れ去っていった。
数刻の、魔物が子供と過ごした時間のただたったの数刻の間のことに、魔物と子供の世界はゆらいだ。
子供は初めてそこで魔物と自分以外の世界の存在を知った。知ってしまった。
子供は未だ知らない事を知らなかったのだ。
魔物を思う気持ちは変わらない。どこまでも幸せを願っている。
それと同じだけの力で子供は世界を知る事を望んだ。
子供の綺麗な願望に魔物は泣き出しそうな程の困惑を覚えた。
時間は刻々と流れる。


魔物は決断をした。



「お行き」



何時の間にこんなにも大きくなっていたのだろう。魔物は自分の腕の中で泣き出した子供をあやしながらそう考えた。
子供は今行きたくない、行きたくなんてないと魔物を引き寄せる。
いっそこの小さな望みで自分を騙してこの子を離すまいかと魔物の心は揺らぐ。
それでも、魔物の飢えた体は子供の望みをかなえることはしなかった。


冒険者になるのなら、この場所のことは覚えていてはいけないよ。
魔物は少しだけ距離を作って子供に語り始める。必死で鼻を鳴らす子供は最初魔物が何を言っているのか理解できなかった。
そうして理解してすぐまた大粒の涙を浮かべる。
行かない。行かない。忘れたりしたくない。ここにいる。一緒にここにいる。
ああなんて愛しいのだろう。
魔物は込み上げ自分を満たしていく感情に眉をしかめそれでも笑みを浮かべた。泣き笑いしているような顔に子供はまた声をあげて泣き出すと魔物の首にしがみつく。
この子には先輝ける世界がある。抱き寄せた子供の髪に指を重ね新緑の香りを忘れまいと頬を寄せると魔物は生まれて初めて自分の願いをかなえた。


この子の望む未来に何時までもきれいな夢がありますように。



ゆっくりと眠りに落ちる子供は魔物と同じだけ、魔物の事を忘れないようにしっかりと瞳に魔物を映し込むともう音にもならぬ声で呟いた。



「大好きだよ」



眠りに落ちた子供のどこまでも澄んだ綺麗な夢に魔物は最後に一粒だけ涙を落とした。


遺跡の前目覚めて子供は空を見上げる。
何も思い出せない自分が不思議ではあったが、子供は荷を背負いなおすとまっすぐに街に向かう道へ歩き出した。
何時までもここに留まっていたいと思う気持ちと何かを知る為に進みたい気持ちと一歩一歩踏みしめる大地に感じながらただただまっすぐに進んだ。
道のりは知っている。小さな自分を導いてくれた大切な人がいる。それだけわかれば子供は十分だった。


その姿が消え去ってしばらくするまで魔物はもう今は魔物だけになってしまった聖域で子供の背中を見送り続けた。次に開かれるのは何時になるのかわからないこの遺跡の扉の向う。魔物はそれでも笑顔だった。


「ここで何時までも君の幸せを祈ろう、君が望む限り此処で君を思っているよ」


大好きだよ。魔物は小さく小さく呟いた。
長く何も食べては居なかったが、綺麗な夢は何時までも魔物の空腹を満たした。








「・・という設定をこれから未知の遺跡を調べるに当たって考えておいた。
そこはかとなく術師っぽくしてあるから忘れず復唱しておくように」

にこりとも笑わず目の前の剣士はそう告げる。
淡々と続く話だったので何かと思っていたがどうやらこれは彼の言う自分の歴史らしい。


「結構な話であることは認める。ただ、勝手に人の血脈を乱すな」


了承もしていないのに遺跡に向け引きずられる自分は可能な限りの表情筋を使ってあからさまに嫌な顔をしてみせた。

何となく故郷の母も呆れているような気がした。



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